わたり終えるか、転げ落ちるか
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昔々、「嘘」について何か書こう、としたら、「理想の女子」について書いてしまいました、というお話。

 話題も尽きてしまって、そろそろ電話を切る頃かなと思ったちょうどそのとき、急に思い出したかのように彼女はこう言う。

 「ねぇ、飛ばすとその周りに綿菓子ができていく竹とんぼがあるのよ。昔はそれを飛ばして遊んでは近所の子たちとその綿菓子を分けて食べたものよ。今度あなたも一緒にそれで遊んでみない?」

 僕は少しだけ間を置いてから、こう切り返す。
 「そんなこと言ったら僕だって、乗っているうちに綿菓子ができていく竹馬でよく遊んでいたよ。町内なんて一周したらさ、近所の友だちみんな行列作って僕の後について来るんだ。あれは良い眺めだったよ」

 彼女の方は全く間を置かずに、とても明るい声で僕に提案する。
 「じゃあ今度、一緒に遊んでみようよ。竹とんぼと竹馬で」
 「いいよ」
 僕は意識して即答する。
 「場所は多摩川のほとりでどう?」

 言うまでもなく、僕は嘘をついていた。もちろん彼女も嘘をついていると思ったから、適当なノリで流そうと思ったのだ。僕はその時二人の間で交わした会話を、「嘘を冗談として、冗談のまま楽しむことができる仲になってきた」というふうにしか解釈しなかった。話すことがなくなったら、たとえ嘘でも話題をこしらえる。そういうのも決して悪くないじゃないか。

 僕はベッドに入って眠りにつく前に、綿菓子ができていく竹とんぼと竹馬のことを少しだけ想像してみた。飛んでいるうちに綿菓子がまとわりついてくる竹とんぼはともかく、竹馬の方は、乗っている人の手足がねとねとしてくるだろうから、結構気持ち悪いだろうな。

 僕は思わず、手足がねとついていないことを布団の中で確める。大丈夫、ねとついていない。

 僕は彼女が、竹とんぼの嘘に対してどのようなオチを付けてくるのかを予想しつつ、その一方で自分がついた嘘に対するオチも考えた。まぁ、このあたりで良いだろうというアイデアが思いつくと、急に眠気が襲ってきた。そのとき、僕は体中にまとわりついた綿菓子をシャワーで落とそうとしている夢を見た。


 翌週の土曜日、約束の場所に十分ほど遅れて到着すると、彼女はすでに川辺にいて、そして彼女の頭上には、ふかふかの綿菓子がくるくると回っている。まるで今日の完ぺきな青空の中で唯一、場違いにも浮かんでしまった一片の雲のように。

 やがて落下する綿菓子を慣れた手つきでキャッチする彼女は、土手にいる僕の姿を確認し、こう叫ぶ。
 「遅かったじゃないー!」

 僕はバトミントンセットを片手に、本来言うはずだった言葉をごくりと飲み込み、ただその場に立ちすくむ。

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昔書いた「最近の子どもたち、最近のサンタ・クロース」という短い短い作品です。ホントにいないかな、こんな子たちとこんなサンタ。メリークリスマス♪

 「僕の作った曲を聴いて下さい」。はぁ、またか。

 ここ最近になって、こういうタイプのお願いごとをする子どもたちが、とても増えてきたように思う。人が作ったものをもらって楽しむより、自分が作ったもので人を楽しませる。そんな風潮が子どもたちの間に、そしてさらには、サンタ・クロースにお願いするプレゼントの世界にまで、浸透し始めてきたのだ。

 他には「僕の書いた小説を読んで下さい」とか、「私の焼いたクッキーを味見して下さい」とか、要するに、「作品に対する感想」を子どもたちは求めているのだ。何もサンタ・クロースにそんなことを頼まなくたって、とも最初は思ったが、子どもの世界も大人の世界と同じく、「発信」する人が多すぎて、「受信」する人が足りないのだろう。さらには「受信」する人の中に、何か気の効いた感想を述べるだけの余裕がないのだろう。そこで、世界中の子どもたちの願いを、(あくまで建前上は)平等に叶えてあげるサンタ・クロースに「作品に対する感想」を求めることは、確かに必然的な流れであるようにも思える。

 しかし実際に困るのは、どういう返事をするかである。

 年に一度のクリスマス。私、サンタ・クロースとしても、その作品たち全てを褒めちぎってあげて、子どもたちみんなを良い気分にさせてあげたい。しかし、だ。「受信」より「発信」を求める最近の子どもたち。そういう表面的な褒め言葉など、むしろ嫌がるのではないだろうか。場合によっては正直に手厳しい批判を与えてやった方が良いのではないか。



 「コード進行が奇をてらいすぎていて、少々嫌味に聴こえます」
 「心理の描写はともかく、情景の描写にムラがあるように思います」
 「もう少し甘味を控えないと、一枚食べたらもう気分が悪くなるでしょう」

 結局私は、思ったことを率直に書くことにした。ただプレゼントを置いていくだけより、ずっと手間のかかる作業ではあったが、私は私なりに真剣にその作品たちに接し、そして感想を述べたつもりだ。うん、長い目で見れば、その方が良いに決まっている。何と言っても「『受信』より『発信』を求める最近の子どもたち」なのだから。



 しかし翌年、作品の感想を求める子どもたちの数は、サンタ・クロースの予想に反し、激減してしまった。やはりサンタ・クロースたるもの、子どもたちに夢を与える、希望を与える、やる気にさせる、そういう類の言葉を残しておくべきだったのだろうか。

 サンタ・クロースは少しばかり落ち込んだが、今年もなお、作品を枕もとに置き、その感想を求めてくる子どもたちのスキルは、昨年と比べて格段に上がっていた。そのことを確認すると、自分のやったことが間違いではなかったと、少しほっとした。

随分前に書いてボツにしたヤツなのですが、最近この話の内容(この話を書くことで描きたかったこと)がちょっと気になってしまって。メモ的にアップ。下手っぴでごめんなさい。

 木下マキアートは、今年で三十三歳になる。昨年結婚して、旧姓の園田から木下に姓を替えた。園田マキアートと言えば、業界では割と名の通った空間デザイナーだったが、彼女のデザインは国内で流通するには、「あるライン」をいささか越えてしまっており、海外での評価は高かったものの、国内ではあまり受け入れられてはいなかった。しかしとても幸運なことに、彼女はそういう事実をありのままに受け入れていた。事実をありのままに受け入れる。これが彼女の人生訓だった。

 -国内では受け入れられずに、海外で受け入れられている。
 -そう。海外市場だけにしぼる?
 -いいえ、私はこの国で成功したいの。
 -じゃあ路線を変える?この国好みの。
 -いいえ。路線は変えたくない。私にはそんなことはできない。
 -じゃあどうする?
 -路線を変えずに国内で受け入れられる方法はある?

 事実をありのままに受け入れた人ほど、次に採るべき現実的な選択を決めるのに苦労しない。

 迅速かつ抜かりのない熟慮を経て、彼女はかなり早い段階から、海外での活動に重点を置くことにした。それはもちろん、「海外市場だけにしぼる」ことが目的なのではなく、「海外での評価が高い」という情報を国内にもっと流通させることが目的だった。コンクールにも、いつもより積極的に応募した。受賞すればすかさず、その情報をマスコミに流すようにした。デザインそのもので勝負したい園田マキアートとしては、少々不甲斐ない方法ではあるけれども、現実的には仕方ないことくらいわかっていた。そう、ここでも彼女の人生訓が生きている。そして実際、彼女が採った方法はとてもうまくいった。

 空間デザイナー・園田マキアートが、その成功の上り坂を着実に上り始めた時、当時彼女のアシスタントを務めていた木下シクラメンとの結婚が決まった。周囲からは結婚後も、園田性を名乗るよう強く求められた。籍を入れない、事実婚を積極的に勧められたのだ。あまり採りたくない方法にすら甘んじ、ここまで苦労してやっと、希望通りに国内にも認知され始めてきたんじゃないか。確かにマキアートという呼称は残るが、苗字がここで替わることは、振り出しとは言わないが、これまでの半分、いやそれ以上の道のりを棒に振ることになってしまう―木下マキアートが、園田マキアートと同一人物であることを知らしめるのには、また新たな時間的・金銭的コストが発生するだろうから―。それではあまりにももったいないじゃないか。何と言っても消費者は、デザインそのものではなく、「『海外での評価が高い園田マキアート』がデザインした」という事実を消費しているのだから。彼女を支えるスタッフはおろか、両親や兄弟を含めた肉親にすら、そういう声で充満していた。夫の木下シクラメンも、その声に賛同の意を表していた。むしろ僕が姓を園田に替えたいくらいだ、とも言っていた。

 「事実をありのままに受け入れる」という人生訓を忠実に守るならば、園田姓は残すべきだった。しかし彼女は初めて、このありのままに受け入れるべき事実を、きっぱりと拒絶した。人生訓よりも大切にしなければならないことがあることに、彼女は気付いてしまったのだ。それはひと言で言えば、ある種の「芸術的直感」だった。こんな考え方をするようになるなんて、自分でも少し不思議だったが、それでも彼女は強くこう思ってしまったのだ。事実なんてどうでもいい、私はこの直感に従うべきなのよ、と。やがて彼女のその確信に満ち満ちた態度に、周囲の声は次第に小さくなっていった(正確には、小さくならざるを得なかった)。

 しかし彼女のその「芸術的直感」に反し、木下マキアートへの評価は、信じられないくらい下降の一途を辿った。あれほど苦労して手に入れた国内での知名度は、あっという間に失われた。

 今からでも遅くはない、園田姓に戻そう。そういう声はより一層強くなった。木下マキアートのアーティストとしての自尊心への配慮から、経営を成り立たせる上での懸念から、新婚夫婦それぞれの地元での噂話への心配から、実に様々な観点から、声がより一層強くなっていくのが、木下夫妻には痛いほどよくわかった。それに対して木下マキアートはこう説明した。
 「確かに私に対する評価はどんどん下がっている。無視されていると言っても良いのかもしれない。でも木下姓に替えてからというもの、私のデザインのクオリティは飛躍的に向上していると思う。それは自分でもよくわかるの。結婚して家庭を持つことができたっていう安心感からかな、以前は思い浮かばなかったようないろんな斬新なアイデアが次々と浮かんでくるの。つまり、少なくとも私の中では、木下マキアートは園田マキアートを完全に凌駕しているのよ。みんなが気を揉んでいることは、私としても非常によくわかっている。でもこれだけは信じてほしいの。もう一度言うわ。少なくとも私の中では、木下マキアートは園田マキアートを完全に凌駕しているのよ」
 もちろんスタッフとしても、木下姓になってからの作品群のクオリティが向上していることは、長年彼女の作品を見てきた彼らにとっては一目瞭然の事実だった。しかし、いかんせんちっとも評価されないのだ。

 発注が来ない間、木下マキアートの卓越した空間デザインのアイデアの数々は、夫との新しい生活空間の設計に、ほとんど全て用いられた。美容師が自分の髪にはさみを入れるようなものだ(それもとびっきり斬新な髪型を)。周りのスタッフとしては、そのあまりにも斬新なデザインに商品的価値が付かないことを、ひどくもったいなく思ったが、そのような価値から離れたところで彼女のデザインが具現化されるというのも、決して悪くないような気もした。事務所の経営も、園田時代の貯金でまだ何とか切り盛りできるし、地元での悪い噂話も全く起こっていない。
 木下マキアートは、海外のデザイナー仲間が来日するたびに、よく自宅に招待した。当然、彼女のデザインは心からほめられた。素晴らしい。結婚してさらに磨きがかかったんじゃないか?ぜひ詳しく話が聞きたい。彼女がどれだけ、実は全く発注がこなくなってしまったのよ、と説明しても、日本人独特の謙遜の美と解釈された。それもそのはずだ。姓が「園田」から「木下」に変わったことが原因で発注が全くこなくなっただなんて、彼らのうち誰が信じるだろう?しかし、だからと言って、木下マキアートはそういう事実に対して全く不満を抱かなかった。ただ純粋にデザインの喜びと、妻としての喜びと、そしてデザイナー仲間と楽しく過ごせるひとときによって、木下マキアートの心は十分に満たされていた。
 しかし、それほど穏やかで満たされた心にさえも、木下マキアートとしてもう一度海外で認知され、そこで得たネーム・バリューを逆輸入する、という「例の」方法は、全く思い浮かぶ余地がないようだった。それは園田マキアートしては受け入れられた方法だったが、木下マキアートとしてはもう受け入れられなくなってしまったのだ。


 あれから三年後、とうとう財政的にも底をつきた木下マキアートは、家にスタッフを集め、あれこれと事情を説明し、そして一人ずつ全員に退職金を手渡したあと、夫の木下シクラメンと共に深々と頭を下げ、これまで尽力してくれたお礼を言った。あなたちのことを心から誇りに思っているわ、と。しかし、何かを詫びるような種類の言葉は、ひと言も発しなかった。
 夫と二人だけになってから、そのあまりにも斬新なデザインで囲まれた空間の中で、木下マキアートは夫に「これからどうしようか」と語りかけた。木下マキアートらしい斬新な位置にぽっかりと開けられた楕円状のガラス窓に、きれいな満月の瞳が宿った。

おやつにたこ焼きを食べながら思い出した、昔書いた超短編。タイトルは「たこ焼きを二箱買う」。そのまま!

僕にとって小説って「何か言いたいことがあるんだけど、ストレートに表現せず、できるだけ遠回りをするのですが、それでいて、ストレートに表現するより効果的に誰かに伝わるもの」なんですけど、↓を書いているとき、僕は何を言いたかったんだろう、と思うとよくわからなくなりました。

 今夜も駅前には、いつものたこ焼き屋が来ている。取り立ててこれと言った目新しさのない、いたって標準的なたこ焼きを販売している。屋台を前に慣れた手つきで黙々とたこ焼きを引っくり返し続けるその男性は、どことなくクエンティン・タランティーノに似ているとかねてから僕は思っている。
 僕はいつもと同じように、二箱注文する。一箱八個入りだから、計十六個。クエンティン・タランティーノは目を合わせることもなく、僕に「八百円」と告げる。僕が千円札を一枚取り出すと、クエンティン・タランティーノは「今、釣りがない」と言うので、「釣りはいらない」と僕は応える。クエンティン・タランティーノは何も言わずに千円札を受け取り、機械的に二箱分のたこ焼きをビニールの袋に入れ、僕に手渡す。

 僕はビニール袋を片手に、いつもの路地裏までやって来る。相変わらずひと気がなく、しんとしている。あたりは暗く、かすかにものが見えるほどの明るさしかない。僕はたこ焼きの入った透明パックをビニール袋から取り出し、ふたを閉じる役割を果たしていた輪ゴムを外す。ふたが「ぱかっ」と開く。それらを並べて地面に置く。

 ぽん、ぽん、ぽん、ぽん。ぽん、ぽん、ぽん、ぽん。
 ぽん、ぽん、ぽん、ぽん。ぽん、ぽん、ぽん、ぽん。

 するとたこ焼きは、次々と透明パックから飛び出していく。やがて十六個すべてがそこから飛び出し終わると、いったん一列に並ぶ。とても行儀良く並んでいるように見える。一列になったたこ焼きから立ち込める湯気。まっすぐひゅるひゅると立ち込める湯気。ちょっとした幕に見えなくもない。なかなか良い眺めだ。そして湯気が落ち着いてきた頃に、たこ焼きはおもむろに右回りに弧を描き出す。列車がカーブを通過するときのように。

 十六個のたこ焼きは、僕の足元を中心にくるくるくるくると円を描き続けている。ソースとマヨネーズと青のりを周りに飛び散らせながら、ただひたすらに回転している。その回転は次第に加速する。速度を増したたこ焼きの弧は、その残像を残すほどにすらなる。そしてその残像はどんどんと長さを伸ばし続け、数分後には僕の足元をすっぽり囲む円となってしまっている。見ようによっては腰ではなく足元で、少し風変わりなフラフープをやっているように見えなくもない。

 次第にじわじわと速度を落としていく十六個のたこ焼きは、弧を描くのをやめ、再び直線の列に戻る。そして回転していたときの速度が嘘のように、ぴたりとその前進を止める。ぱち、ぱち、ぱち。僕はいつものように、整列した十六個のたこ焼きに拍手を送る。拍手が止むと、路地裏の闇の中から何者かに引っ張られたひものように、たこ焼きの列は「ひゅっ」とその姿を消してしまう。

 僕は空になった二つの透明パックを重ねて拾い、ビニール袋に入れる。そして路地裏から明るいところに出てすぐのところにあるセブン・イレブンのごみ箱にぽいとそれを投げ入れた後、僕はゆっくりと家路につく。

時間を見つけて、また書いてみようかな、なんて思ったりしました。どうせ誰も読まないだろうけど。ぶつぶつ。ふん。
■「家庭」にも「学校」にも「居場所(=身寄り?)」がない少女が巻き込まれる、それはもうヘンな「森」(又は「田舎」)という「居場所(=身寄り?)」。書き言葉みたいなセリフとよく動く静止画みたいな映像(変な表現ですが)が、独特の雰囲気を出していたように思いました。いやーホント素晴らしかった!
ミヨリの森;フジテレビ

■久々にkeitamai.comを更新してみました。僕にしてはちょっと長めの小説をPDFファイルにて。2年ほど前に書いた童話(もどき)なのですが、何となく気まぐれにアップしてみようと思ったのです(^^;。

■ここ最近「ゲーム的リアリズム」のことばかり(「ばかり」まで言うと大げさですが)考えてしまっています。
ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2
東 浩紀

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■おおお!今週の「華麗なる一族」にて哲生&武志のタッグが復活してた!
<参考>
若者のすべて - Wikipedia
若者のすべて DVD-BOX若者のすべて DVD-BOX
萩原聖人 木村拓哉 鈴木杏樹

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■何のかんのでこの週末は「背番号のないエース」の鑑賞のみで。いやーやっぱイイですね、あの世界観。たまんないですね。でもその後で借りてきた「21グラム」観てどよーん。
タッチ 背番号のないエースタッチ 背番号のないエース
あだち充 杉井ギサブロー 三ツ矢雄二

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21グラム (初回出荷限定価格)21グラム
ギジェルモ・アリアガ・ホルダン アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ ショーン・ペン

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うーん…「背番号のないエース」→「21グラム」…この流れで観た人もそんなにいないんじゃないかと。
<関連>
こんな時は;人生はタイトロープ

keitamai.com超短編小説作業工程A(後編)」を掲載しました。
■「ハケンの品格」の大前春子さんはどうやらサウザーっぽい経緯を経て「スーパー派遣」に行き着いたのでは、と前回の内容を見つつ。この「サウザーっぽい経緯」っていうのは、

こ…こんなに…
こんなに悲しいのなら苦しいのなら………
愛などいらぬ!!

サウザー (北斗の拳) - Wikipedia
北斗の拳 (6)北斗の拳 (6)
武論尊 原 哲夫

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…っていうセリフに象徴されるような、「誰よりも愛深きゆえに愛を捨てる」っていうなかなかに切ない経緯のことで、確か実写版の「火垂るの墓」で、アニメ版では描かれなかった叔母・久子(←松嶋菜々子さんの演技が見事でした)の過去も「サウザーっぽい経緯」があったことが描かれていました(こちらは松嶋菜々子さんが雨の中を疾走するっていう描写のみでしたが、そこにセリフを加えるとなると、上に書いたサウザーの叫び(=こ…こんなに…こんなに悲しいのなら…)になると思ったのです)。
終戦六十年スペシャルドラマ 火垂るの墓終戦六十年スペシャルドラマ 火垂るの墓
野坂昭如 松嶋菜々子 石田法嗣

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自分にとって不都合な感情が芽生えるのなら、思い切ってその原因となるを根を絶やしちしまおう、っていうのって、多かれ少なかれ誰でも持ったことのある考え方だと思うのです。サウザーが愛を捨てた経緯はケンとの決戦の最中で描かれるのですが(注)、果たして大前春子さんの過去はどのように描かれるのでしょうか(ちょこちょこと出てきてはいるのですが)。楽しみです。サウザー越えは難しいでしょうけど(笑)、それ級の何かは来るんじゃないかな、と思ってたりしてます。

(注)以下のウィキペディアの記述には思わず吹き出しましたが(笑)。

2006年の劇場作品「真救世主伝説北斗の拳 ラオウ殉愛の章」はサウザー対ケンシロウのエピソードを中心に映画化したものだが、本作においてはオウガイとの悲しい離別の過去を含めたサウザーの「愛深き故に愛を拒んだ悲劇の男」という素性が綺麗に割愛されて純粋な極悪人として描かれ、ケンシロウが北斗有情猛翔破を使用する意味も失っており、本作のサウザー像についてはファン間でも意見が分かれた。


■…とは言え、大分前に今見てるドラマを挙げたのですが、その中でも「今週、妻が浮気します」が今一番楽しみ、と言いますか、のめり込み度が一番デカイです。ネットや書籍でオチ知っている人、絶対に教えないで下さいね(^^;。

keitamai.com超短編小説作業工程A(前編)」「作業工程A(中編)」を掲載しました。
■今年はいつもよりドラマ観ようと思いましてー(^^;。
ハケンの品格
第一回、第二回を見てとりあえず思ったことは、(ややこしい書き方で申し訳ないですが)大前さん(=篠原涼子)くらい仕事ができる人は、森さん(=加藤あい)っぽい協調性も搭載していて、森さん(=加藤あい)くらい仕事ができない人が、大前さん(=篠原涼子)っぽい態度のでかさを搭載してるっていうのが、(今までの浅ーい経験から僕が思った)職場の現実ではないかと思うのですがどうなんでしょう(それだとドラマにならないか)。でも面白いです。
華麗なる一族
これでもかこれでもかと続く超豪華キャストに、あの超壮大なストーリー・スケールをしばしば見失いそうになりましたです。「白い巨塔」と言い、山さんが描きたい設定&そこから滲み出したい主張に、とっても惹かれます。それにしてもホント、なんて華麗なるキャスティング。
華麗なる一族〈上〉華麗なる一族〈上〉
山崎 豊子

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華麗なる一族〈中〉華麗なる一族〈中〉
山崎 豊子

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華麗なる一族〈下〉華麗なる一族〈下〉
山崎 豊子

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今週、妻が浮気します
これは他人事ではないから…と言うのは冗談で(たぶん)、ユースケさん&石田ゆり子さんで、っていうのが何かこうイイなぁと言うことで(^^;。特に第一回の、夜中に一人でビール飲みながら結婚式のビデオ(DVD?)観てたユースケさんの演技はホント素晴らしかったと思います(;_;)。
今週、妻が浮気します今週、妻が浮気します
GoAhead & Co.

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keitamai.com超短編小説渋い音(前編)」「渋い音(後編)」を掲載しました。
■年賀状の内容に「住所がわからなくて出しそびれてました/出すのが遅くなりました」的なモノが多かったです。こちらこそ住所変更のお知らせしてなくってごめんなさい。と言いますか、夫婦そろって筆不精でごめんなさい。

■すっごく安かったのと、無性にファンタジーが観たかったので年明けに。うーんあれだけ人気があった理由がわかった気がしました。もしつまんなかったらどうしようと思って二本だけの購入にしてたんですが、こりゃ続編も観ようと思いましたです。
ハリー・ポッターと賢者の石ハリー・ポッターと賢者の石
ダニエル・ラドクリフ J.K.ローリング クリス・コロンバス

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ハリー・ポッターと秘密の部屋ハリー・ポッターと秘密の部屋
ダニエル・ラドクリフ クリス・コロンバス J.K.ローリング

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個人的にはスネイプ先生デレクに見えて仕方なかったんですがどうなんでしょう。
Harry Potter - Mini-Bust: Professor SnapeHarry Potter - Mini-Bust: Professor Snape

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InertiaInertia
Derek Sherinian

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keitamai.com超短編小説千秋楽」を掲載しました。
■遅ればせながら年末に購入した「Heart And Soul」をこの年末年始にずぅっと聴いていたら、「ダイレクトに心で」「自然な形で」演奏してらっしゃる三谷さんがありありと想像でき、ちょっぴり胸が熱くなりました。かつての「Brain And Theory」な三谷さんから、「Heart And Soul」な三谷さんへ。もちろん、そんな単純な二分法で割り切れるわけでもなく、今でも「Brain And Theory」な要素は多分にお持ちなのでしょうけど、それでもやはり、「Brightest!」ツアーパンフのようなお言葉を思い出すにつけ、「Heart And Soul」っていうアルバムタイトルは、ソロ10周年を経た三谷さんの変化を示す、何とも象徴的なネーミングだなぁと思った次第です。

今は感情ではなく理論的に頭で聴いてしまっている音楽をその頃はもっと
ダイレクトに心で聴いていたような気がする。
自分の中で分析してない自然な形で音楽を聴けなくなった事に
不安を感じてしまう。
―「Brightest!」ツアーパンフレットより

いやーそれにしてもホント素晴らしいライブ・アルバムです。時間が経ったり、その時の気分によって変わるかもしれないですが、「In Motion」よりこっちの方が断然好きかなぁという感じです。
<関連>
思い出のライブ「Brightest!」ツアー1992;みなみかぜ日記
↑「よくぞここまで!」っていうくらいの詳細レポです。あー懐かしい♪
Brightest!Brightest!
スターダスト・レビュー

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keitamai.com超短編小説矢が自らの意志を取り戻す」を掲載しました。
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