わたり終えるか、転げ落ちるか
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
■修士課程のときのエースが満を持してゴールイン!カッコいい!奥さんもキレイ!いつまでも幸せにね!
お幸せに!!!
この日はとにかく懐かしい人たちと話まくりました。いやーあのころは一体なんだったんだ!なんて思っていたらこの日も案の定泥酔。

■最近空とか雲の写真ばっかし。でもなぜか気になってしまう。なんでだろう。このときは何か爆発でも起きてるように見えたんだなぁ、きっと。
ナマで見るともっと迫力あったんだけどなぁー。
スポンサーサイト
おそるおそる門を叩いてみました、大図研。正直最初の全体会は退屈(ちょっと元気のない話ばかり)でしたが、研究報告からは前向きなお話が多く、非常に興味深く拝聴させていただきました。挙手・発言とはほど遠い消極的な参加ではありましたが、今後少しずつ、あの雰囲気に入っていけたらと思いました。以下、私の備忘録的メモ(理解が間違っているところもあるかもしれません)。

まずは大阪大学附属図書館の土出郁子さんによる「全国遺跡資料リポジトリ・プロジェクト : サブジェクトリポジトリ,地方自治体との協働」と題した、遺跡資料レポジトリについての発表でした。淡々とした紹介部分と、感情がむき出しになる部分とのギャップが非常に印象的でした。

・「各県にひとつサーバを置き、遺跡資料を電子化してアーカイブ・発信する」とのこと。
・発掘調査報告書(=埋蔵文化財の保護措置を講じた行政措置の記録)は「遺跡そのもの」「替えがきかない存在」、さらには「報告書の完成=発掘調査の完了」。
・整理したいけど難しい。付属CDがあったり、地図が付いていたり、いきなりシリーズ名・巻名が変わったり…。
・今後は国立情報学研究所によるクラウド化の方向。
・権利処理は教育委員会に一任している。
・画像保存の基準は(おそらく)600dpi。
・「デジタル岡山大百科」「愛知県埋蔵文化財センター」等の紹介も。
<関連>
10年後のリポジトリ (特集 10年後の大学図書館) / 土出 郁子


続いて京都大学附属図書館の天野絵里子さんによる「大学図書館員の仕事 : 専門性はどこにある?」。iPadを用いての発表で注目を集めていました。先の土出さんもそうでしたが、天野さんも落ち着いていてプレゼン上手!

・図書館員12,421人に対して、専任5,902人、非専任6,519人(学生バイトカウントせず)。
・1校あたりの整理業務。1975年には4,7人。2009年には0.8人。基本1人を切っている状態(=同じ仕事をやっている人がいない状態)。但し管理職はなぜか1.5人。グラフの印象が強烈でした。
・「うつ」に関する興味深い割合。平均男性7.2人、女性7.0人に対し、図書館員は男性12.0人、女性12.2人。理由は仕事で必要な情報が入ってこない。仕事を自分で決められない、など。
・P(aper)からE(lectric)への時代。さらに付け加えたいのが、O(pen)、S(ocial)への流れ。U40、Code4LIB JAPAN等注目!

数字を駆使したり、「追加」ではなく「上書き」を、といったレトリックも凝っていて、ものすごく引き込まれたプレゼンでした。また、静かに淡々とお話する中に、燃えたぎる何かを持った方なのでは、と思ったひとときでした。ものすごく遠まわしに「何も仕事していない年寄りは一刻も早く退場せよ!」と言っているようにも(違ったらすみません)。

2日目もとってもおもしろかったのですが、今日は力尽きたのでまた改めて書きます。
■またもや夕立&虹!今日は前と比べてくっきりと!でも電線が邪魔だなぁー。
2枚組のレインボウズほしい。

■もはや「音楽の聴き方」だけにとどまらない、極めて重要な箇所だと思います。「別の文脈で聴く可能性」を生むのは、「謙虚」さの中にあるのです。

 であればこそ、今の時代にあって何より大切なのは、自分が一体どの歴史/文化の文脈に接続しながら聴いているのかをはっきり自覚すること、そして絶えずそれとは別の文脈で聴く可能性を意識してみることだと、私は考えている。言い換えるなら、「無自覚なままに自分だけの文脈の中で聴かない」ということになるだろう。自分が快適ならば、面白ければそれでいいという聴き方は、やはりつまらない。こうしたことをしている限り、極めて限定された音楽(=自分とたまたま波長が合った音楽)しか楽しむことは出来ない。時空を超えたコミュニケーションとしての音楽の楽しみがなくなってしまう。むしろ音楽を、「最初はそれが分からなくて当然」という前提から聴き始めてみる。それは未知の世界からのメッセージだ。すぐには分からなくて当然ではないか。快適な気分にしてもらうことではなく、「これは何を言いたいんだろう?」と問うことの中に意味を見出す、そういう聴き方を考えてみる。「音楽を聴く」とは、初めてのうち分からなかったものが、徐々に身近になってくるところに妙味があると、考えてみるのだ。こうしてみても初めのうちは退屈かもしれない。音楽など自分と波長の合うものだけをピックアップして、それだけを聴いていればいい―それも一つの考え方だろう。だが「徐々に分かってくる」という楽しみを知れば、自分と波長が合うものだけを聴いていることに、そのうち物足りなくなってくるはずである。これはつまり自分がそれまで知らなかった音楽文化を知り、それに参入するということにほかならない。
 ―中略―
 …それらの背後には何らかの歴史的経緯や人々の大切な記憶がある。このことへのリスペクトを忘れたくはない。「こういうものを育てた文化=人々とは一体どのようなものなのだろう?」と謙虚に問う聴き方があってもいい。歴史と文化の遠近法の中で音楽を聴くとは、未知なる他者を知ろうとする営みである。

音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書)音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書)
岡田 暁生

by G-Tools
■仕事でちょっと必要になりそうで買ってみました。プライベートでもやってみたい!
USTREAMそらの的マニュアル (INFOREST MOOK)USTREAMそらの的マニュアル (INFOREST MOOK)
そらの

by G-Tools

■明日から大図研!
■ちゃんと近づいてきてくれてるのかも?空が少しずつ高くなってきてる気がする!
のぎへんに火ですよ。

■でもやっぱし暑いですけどね、まだまだ。
■いろいろと読みながら過ごしました。長尾NDL館長の「電子図書館」、ものすごく興味深かったです。ルーツを知るべく「人工知能と人間 (岩波新書)」を早速注文。どれも「概念の捉え方の変化」について考えさせられた5冊でした。本しかり、音楽しかり、いじめしかり。結局すべては「情報」の相対的な捉え方の問題、に過ぎないのかも。
電子図書館 新装版電子図書館 新装版
長尾 真

by G-Tools
音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書)音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書)
岡田 暁生

by G-Tools
電子書籍の衝撃 (ディスカヴァー携書)電子書籍の衝撃 (ディスカヴァー携書)
佐々木 俊尚

by G-Tools
いじめとは何か―教室の問題、社会の問題 (中公新書)いじめとは何か―教室の問題、社会の問題 (中公新書)
森田 洋司

by G-Tools
あなたにもわかる相対性理論 (PHPサイエンス・ワールド新書)あなたにもわかる相対性理論 (PHPサイエンス・ワールド新書)
茂木 健一郎

by G-Tools
茂木さんは「今、ここからすべての場所へ」あたりから、僕の読書ペースが彼の出版ペースに完全に追いつけなくなりました(来月もものすごく新刊出ますね)。ま、ぼちぼち追いつければ、と思っています。

■「サマーウォーズ」、ようやく観ました。オープニング、すごかったですね。ここで早々と描かれているバーチャル&ニュー&ハイなテクに対抗する、リアル&オールド&ローなテク(人と人とのつながり、花札スキル、計算力、スーパーコンピュータ&氷、etc)、構図としては少々陳腐かなと思いましたが(失礼…!)、映像の力(テンポ)で魅せられたような気がします。
こういう風に↓思っちゃったんだから仕方ない…。

A・B:(パンパンパンパンパン)はいどーも!クレインクレインでーす。よろしくお願いしまーす。
A:いきなりやけど相変わらず自分、姿勢いいね。背筋しゃきしゃきやね。
B:何言うてんねん、お前の方こそしゃきしゃきやがな。若干反っとるがな。
A:反っといたら何か頑張ってる感出せるかな思て。お前ももうちょい反っとけや。やる気ないんか。
B:アホか。オレはできるだけまっすぐ立っときたいんや。ほれ、少しでも目線高うした方がこうして奥の方まで入ってるお客さんの顔をやな…。
A:客ひとりもおらんがな!!!
A・B:どうもありがとうございました~!(退場)

クレインズ初舞台。 場数踏んで大爆笑とったる!
…でもたぶんこれクレーンじゃなさそうですね…ううむ。
カネと人格のおっそろしいまでのどろどろとした関係をセキララに。

 カネのハナシは下品だという「教え」が生んだもので「ちょっと待て、いい加減にしろ!」って言いたくなることは、まだ、ある。
 「人間はお金がすべてじゃない」「しあわせは、お金なんかでは買えないんだ」っていう、アレ。
 そう言う人は、いったい何を根拠にして、そう言い切れるんだろう?
 -中略-
 「いかにも正しそうなこと」の刷り込みが、どれだけ事実に対して人の目をつぶらせ、人を無知にさせるのか。

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)この世でいちばん大事な「カネ」の話 (よりみちパン!セ)
西原 理恵子

by G-Tools
あまり評判聞かないですが、ドラマの方はどうなんでしょう?
ざざーっと夕立があって、そのあとにおっきくれキレイな虹が!肉眼でははっきり見えたのに、携帯の写真ではこのアリサマ…見えますでしょうか?
ひさびさにみました、虹。
見えないですよね…なのに貼ってみる。それはネタがないから。
おやつにたこ焼きを食べながら思い出した、昔書いた超短編。タイトルは「たこ焼きを二箱買う」。そのまま!

僕にとって小説って「何か言いたいことがあるんだけど、ストレートに表現せず、できるだけ遠回りをするのですが、それでいて、ストレートに表現するより効果的に誰かに伝わるもの」なんですけど、↓を書いているとき、僕は何を言いたかったんだろう、と思うとよくわからなくなりました。

 今夜も駅前には、いつものたこ焼き屋が来ている。取り立ててこれと言った目新しさのない、いたって標準的なたこ焼きを販売している。屋台を前に慣れた手つきで黙々とたこ焼きを引っくり返し続けるその男性は、どことなくクエンティン・タランティーノに似ているとかねてから僕は思っている。
 僕はいつもと同じように、二箱注文する。一箱八個入りだから、計十六個。クエンティン・タランティーノは目を合わせることもなく、僕に「八百円」と告げる。僕が千円札を一枚取り出すと、クエンティン・タランティーノは「今、釣りがない」と言うので、「釣りはいらない」と僕は応える。クエンティン・タランティーノは何も言わずに千円札を受け取り、機械的に二箱分のたこ焼きをビニールの袋に入れ、僕に手渡す。

 僕はビニール袋を片手に、いつもの路地裏までやって来る。相変わらずひと気がなく、しんとしている。あたりは暗く、かすかにものが見えるほどの明るさしかない。僕はたこ焼きの入った透明パックをビニール袋から取り出し、ふたを閉じる役割を果たしていた輪ゴムを外す。ふたが「ぱかっ」と開く。それらを並べて地面に置く。

 ぽん、ぽん、ぽん、ぽん。ぽん、ぽん、ぽん、ぽん。
 ぽん、ぽん、ぽん、ぽん。ぽん、ぽん、ぽん、ぽん。

 するとたこ焼きは、次々と透明パックから飛び出していく。やがて十六個すべてがそこから飛び出し終わると、いったん一列に並ぶ。とても行儀良く並んでいるように見える。一列になったたこ焼きから立ち込める湯気。まっすぐひゅるひゅると立ち込める湯気。ちょっとした幕に見えなくもない。なかなか良い眺めだ。そして湯気が落ち着いてきた頃に、たこ焼きはおもむろに右回りに弧を描き出す。列車がカーブを通過するときのように。

 十六個のたこ焼きは、僕の足元を中心にくるくるくるくると円を描き続けている。ソースとマヨネーズと青のりを周りに飛び散らせながら、ただひたすらに回転している。その回転は次第に加速する。速度を増したたこ焼きの弧は、その残像を残すほどにすらなる。そしてその残像はどんどんと長さを伸ばし続け、数分後には僕の足元をすっぽり囲む円となってしまっている。見ようによっては腰ではなく足元で、少し風変わりなフラフープをやっているように見えなくもない。

 次第にじわじわと速度を落としていく十六個のたこ焼きは、弧を描くのをやめ、再び直線の列に戻る。そして回転していたときの速度が嘘のように、ぴたりとその前進を止める。ぱち、ぱち、ぱち。僕はいつものように、整列した十六個のたこ焼きに拍手を送る。拍手が止むと、路地裏の闇の中から何者かに引っ張られたひものように、たこ焼きの列は「ひゅっ」とその姿を消してしまう。

 僕は空になった二つの透明パックを重ねて拾い、ビニール袋に入れる。そして路地裏から明るいところに出てすぐのところにあるセブン・イレブンのごみ箱にぽいとそれを投げ入れた後、僕はゆっくりと家路につく。

時間を見つけて、また書いてみようかな、なんて思ったりしました。どうせ誰も読まないだろうけど。ぶつぶつ。ふん。
昨日のエントリへの書き忘れ…。

電子書籍には、「『できない』ことを『できない』ことでなくす」力を感じます。Twitterは完全にこちらですよね。

 さて、先の「する」の論理からすると、disableということには何の意味も価値も見いださないわけになる。だが、「できない」ということは、言うまでもなく、「する」ほうから見るから「できない」のだ。そして「できない」ほうから「する」を見ると、あることを「できない」こととしか見えなくさせている「する」の仕組みのほうがむしろ浮かび上がってくる。「できない」ことの多くは、「できる」と「できない」ことを仕分けて、「できる」ことのほうから行動の環境がかたちづくられ、行動の制度が組み立てられているからこそ「できない」にすぎない。たとえば、身体に障害があるひとが地下鉄にひとりで来れないのは、段差がいろいろな場所にあるからであって、床をなだらかにしエレベーターを完備すれば、ひとりで乗れるのである。「できない」ことを「できる」ようにするより、「できない」ことを「できない」ことでなくすことのほうが重要だということだ。

わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座 (ちくま新書)わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座 (ちくま新書)
鷲田 清一

by G-Tools
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。