わたり終えるか、転げ落ちるか
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10/22(土)、人文研アカデミーセミナー・シリーズ「政治を考える」の第二回目「トクヴィル-富永茂樹著『トクヴィル 現代へのまなざし』をめぐって」を拝聴してきました。「トクヴィル」に関するオープンな会は、4月の合評会に続いて2度目。今回は「〈私〉時代のデモクラシー」の宇野重規先生も登壇されるとのことでさらに楽しみにしていました。
トクヴィル 現代へのまなざし (岩波新書)トクヴィル 現代へのまなざし (岩波新書)
富永 茂樹

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〈私〉時代のデモクラシー (岩波新書)〈私〉時代のデモクラシー (岩波新書)
宇野 重規

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以下気になった先生方のご発言メモ。まずは富永先生から。
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「schola 坂本龍一 音楽の学校」の「古典派」全4回をまとめ見。バッハ→ハイドン→モーツァルト→ベートーヴェンと駆け抜けました。生徒の学生さんたち今回もレベル高し。特に印象に残ったのはモーツァルトの回の「世の人は、モーツァルトは胎教に良い、なんて言うけどねぇ…僕はもう…この壊れた音楽を胎教に使いますかと言いたいんだよねぇ」という岡田先生のコメント。この「壊れた音楽」というお言葉を聞いてふと思い出したのが「西洋音楽史」の以下の箇所。「壊れた」というのは「奇跡」的な「統一」のこと、という理解で良いのでしょうか…?

 しかもこれほど互いに異なる主題を繰り出しながら、決して形式が瓦解しないのが、モーツァルトのすごいところだ。互いにここまで性格の違う無数の主題がこれほど自然に同居しているということが、どれほどの奇跡であるのか、聴き手がほとんど気づくことすらないほど、それほど自然に全体が統一されているのである。おそらく並の作曲家なら、万が一これらの楽想を思いついたとしても、それらをどう統一していいのか、どうにも収集がつかなくなっていたに違いない。だがモーツァルトはそれらを軽々と、ほとんどシンフォニックとすら呼びたくなるような、壮大な統一体へとまとめあげてみせる。

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)
岡田 暁生

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■「誘惑論・実践篇」は「誘惑」に関するその興味深い内容に加えて、全編に漂う異様なまでの緊張感がすごかったです。「私は二〇五〇年の世界標準について話しているので、あなたには突飛に思えるかもしれませんね。」のあたりとかひやひやしました。「思想地図β vol.1」は(購入したときにはそれほど期待していなかった)後半部の「パターン・サイエンス」の特集がものすごくおもしろかったです。「思想地図β vol.2」も早く読まなきゃ。
誘惑論・実践篇誘惑論・実践篇
大浦 康介

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思想地図β vol.1思想地図β vol.1
東 浩紀 宇野 常寛 千葉 雅也 速水 健朗 北田 暁大 鈴木 謙介

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