わたり終えるか、転げ落ちるか
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■5/21(月)の金環食(金環日食)、iPhoneで連写しておりましたら1枚その姿をキャッチしてくれました。ラッキーでした!
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■金環食の前の週に出ました、週間読書人2012年5月18日号◇湯浅 誠・王寺賢太対談「日本社会の構造変革のために」、とても興味深く読みました。「最終的」という言葉がよく出ていたように思いますので、その付近のみ抜粋。時間軸のとらえ方の違いが(思想家と実践家で)とても出ているような気がしました。湯浅さんの「その間に何をやっていくか。積み重ねの問題であって、少しずつでも進めていくしかない」という言葉にも出ていると思うのですが、「最終的」な目標に必要な「時間(軸)」を小さなステップに輪切りにしていくプロセスは、「最終的」な目標の達成をむしろ遠ざけてしまうのでは、という危惧を、王寺先生の発言に読み取れるような気がしました。「積み重ね」、「都度都度の状況」の「事件化」、で「やっていくしかない」…「のか?」、と。とても切実な対立点かと思います。「貧困」問題に対する今後の動向、この対立を軸に追っていきたいと思いました。

王寺:…最終的には、野宿者なら野宿者の当事者と支援者の間の格差、非対称性を乗り越えることが問題になるんでしょう?
湯浅:実際にはなかなか超えられないんだけどね。
王寺:でも最終的にはそれが目標なんだと思う。

湯浅:…たとえば常用的な非正規でも、ダブルインカムで、望むならば子どもを大学まで通わせられる。そういう社会のあり方が最終的には望ましいものであり、それに向けて税制の組み換えも含めて考えていかなければならない。このことを実現するには一世代はかかる。その間に何をやっていくか。積み重ねの問題であって、少しずつでも進めていくしかない。

湯浅:…都度都度の状況が何をもたらすかっていうことだね。…そのことをどう事件化できるのかという方向でやっていくしかない。それとまったく別の問題設定をすることは、王寺たちの仕事であり、ぜひ我々にヒントを与えてもらいたい。
王寺:そうありたいと真剣に思ってるよ。

貧困待ったなし!――とっちらかりの10年間貧困待ったなし!――とっちらかりの10年間
自立生活サポートセンター・もやい

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■先月の4/18(水)EXTREME→4/20(金)陰陽座→4/23(月)Dream Theaterと怒涛のHR/HMウィーク、一公演たりとも観れなかったですがorz、陰陽座とDTはDVD出るっぽいから安心♪陰陽座は千秋楽(東京NHKホール)、DTはアメリカのどっかでの公演を収録予定とのこと。


■「後悔と近代世界」という富永茂樹先生の論文(作田啓一「自尊と懐疑」に収録)を拝読していて特に気になった箇所。近代社会に特徴的な「失敗症候群表向きの理由もなく強迫的に失敗を繰り返すタイプの行動様式)」の背景。

 世界の正当化、生に対する意味の付与は、集団から明確に区別しうるような個人の概念が存在しない場合、あるいは個人が所属集団に融合し、完全に一体化しているときには、比較的容易に実現する。人間の経験する個々の不幸は、個人を超越した集団の歴史の一部として理解され、それ以上には拡大されないからである。この意味では、たとえさまざまな中間集団が個人にたいして強い包括性を保っていた中世の社会では、世界の正当化の装置がゆらぐことは少なかった。ところが近代社会は、まず何よりも中間集団の衰退、集団の拘束からの個人の解放ということでもって特徴づけられる。社会的現実は多元化し、また断片化し、そしてその分正当化の装置の作用は弱まってゆく。近代社会は、他の社会に比べると、安定した正当化の装置を欠いており、そこでは秩序とのあいだにズレのない行動様式を見出すことが徐々に困難になってくるであろう。失敗症候群の増殖や後悔の激化も、こうした近代社会に特有の、正当化装置の解体、ないし衰弱といった事情と、けっして無関係ではありえない。

そのような近代社会を生きるヒントとして参照されていた「The Assistant」と「Seize the Day」。読んでみたい。Kindle版ないのかなぁ…と思ったら「Seize the Day」あった!
The AssistantThe Assistant
Bernard Malamud Jonathan Rosen

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Seize the DaySeize the Day
Saul Bellow Grover Gardner

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合わせて、4月のシンポジウム「啓蒙思想と戦争/平和」の関連で紹介されていた「風土、習俗、一般精神」(樋口謹一「モンテスキュー研究―京都大学人文科学研究所報告」に収録)も拝読。「安定した正当化の装置」としての「法と習俗」の「揺らぎ」。

 法と習俗と、そのいずれの側に精神的原因としての大きな力を認めるのか―このことは、しかし、さほど重要な問題ではない。むしろ、どちらの場合にも議論の対象になっているのが、社会における根本的な規範であるという点にこそ注目しなければならないであろう。そして十八世紀の後半になって、法であれ習俗であれ、このような社会の表層ではなく内部の規範に関心が集まってくる傾向の背後には、おそらく、自分たちの社会の規範が何らかのかたちで揺らぎはじめ、その力を充分に発揮していないという彼らの認識をかすかながら読みとることもできよう。

この箇所を受けてふと思い出した懐かしい「権力の予期理論」の序章。むむぅ。

 高度に発達した資本制において人びとはシステム内に馴致するのに固有の超越的審級が必要だ、とするのはしばしば錯覚である。この種の錯覚は、ベルを初めとして現在さまざまな社会科学者の採用する比較社会学的・歴史社会学的思考を誘惑する。現代社会における人間行為を単独で取り出してきて以前の社会ないし異文化社会におけるそれと比較してみると、「いかにもありそうもないこと」が生じていると見える。その「ありそうもなさ」を人間性や身体の固有の性能ないしそれを効果する超越的審級に帰属させたくなる誘惑!

権力の予期理論―了解を媒介にした作動形式権力の予期理論―了解を媒介にした作動形式
宮台 真司

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■さて来月はDream Theaterセッション!今回はこの曲にチャレンジします♪できるかな?
■CDを100枚ほど売り払いました。ちょっとだけすっきり。

■テレビでやってたのでほけーっと。「『正義』を考える」での大澤真幸さんの「八日目の蝉」分析にありました以下の指摘は改めてお見事だなぁと思いつつ、その一方で、「あれがあるから生きていられると思えるような一番大切な時間、人生のすべての基礎になるような時間、人生の中で無条件に幸せな時間」を薫に与えた「希和子」を演じきった永作博美さんがもうホントお見事過ぎまして。

 どうして人生のほとんどが八日目の蝉のような、つまり、なくてもいいはずの人生になってしまったのでしょうか。それは、この人のおよそ二〇年の人生の中で、あれがあるから生きていられると思えるような一番大切な時間、人生のすべての基礎になるような時間、人生の中で無条件に幸せな時間というのは、希和子と過ごした三年半だったからです。希和子は誘拐犯だけれども、薫を思いっきり愛した。希和子は、誘拐犯であるという社会的なレッテルを剥がせば、こんなにいい母親はいないと言っていいほどで、最高の育て方をしている。薫もまた希和子を信頼し、愛していた。
 しかし、にもかかわらず、恵理菜にとってその後の人生がうまくいかない原因は、もっぱら希和子に育てられたという事実にあるわけです。つまり、希和子との関係が幸せな記憶として人生の基礎にあり、人生に意味を与えるはずなのですが、その一番ポイントになることが、その後の人生が不遇であること、不幸であることの原因になってしまった。だから結果として、一番の幸せな瞬間が一番の不幸の原因になるという、そういう逆説が孕まれてしまう。

八日目の蝉 通常版 [DVD]八日目の蝉

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「正義」を考える―生きづらさと向き合う社会学 (NHK出版新書 339)「正義」を考える―生きづらさと向き合う社会学 (NHK出版新書 339)
大澤 真幸

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この連休に大澤真幸友だち(?)ができたっぽくてちょっぴりうれしい今日この頃。
<関連>
いかに『無個性で書くか』を考えつつやってきた:人生はタイトロープ

■柳田國夫と新村出の二つの共通点として挙げられていた「融通無碍な歴史性をそのまま客観的に認めること」と「執念といってよいほどの徹底した資料の探索と帰納的な比較の営み」という言葉に、(別の書籍で恐れ入りますが)以前「創氏改名」を読んだ際に感じた(のですがうまく言葉にならなかった)ことが、ぴたっと当てはまった、という印象がありました。

 二人の「ことば」観としてまず挙げなければならないのは、「生きていることば」への強い意志だろう。予め措定された規範性から出発するのではなく、しばしば矛盾や錯誤をはらみつつ無限に流転する「ことば」、その融通無碍な歴史性をそのまま客観的に認めることが二人に共通する出発点である。
 であればこそ、無数の言語事実を一つ一つ積み重ね、比較していくことによってしか、言語現象の実態を解き明かすことはできない。執念といってよいほどの徹底した資料の探索と帰納的な比較の営み、その一貫した資料へのこだわりが第二の共通点となる。書斎派と現場派という対立はじつは表層的なものに過ぎない。

ことばの力: あらたな文明を求めて〈ことばの聖〉ふたり: ことばの力 あらたな文明を求めて
菊地 暁 横山 俊夫

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創氏改名―日本の朝鮮支配の中で (岩波新書 新赤版 1118)創氏改名―日本の朝鮮支配の中で (岩波新書 新赤版 1118)
水野 直樹

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書斎派と現場派という対立はじつは表層的なものに過ぎない」っていうのもシビれるフレーズです!
4/21(土)京大人文研共同研究班「ヨーロッパ現代思想と政治」の(班長市田良彦先生の最新刊「革命論 マルチチュードの政治哲学序説 (平凡社新書)」の合評会という体裁ではありましたが)公開研究会!司会の王寺先生より「哲学と政治の関係を問い直す研究班」と紹介された後、「基本的には普段の研究会の形式・それを一般公開」「研究班員の発言を優先したい」とのこと。現代思想班のライブ!という感じでものすごく楽しみにしておりました。
革命論 マルチチュードの政治哲学序説 (平凡社新書)革命論 マルチチュードの政治哲学序説 (平凡社新書)
市田 良彦

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まずは著者の市田良彦先生。
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