わたり終えるか、転げ落ちるか
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■5/18(土)、京都光華女子大学にて行われました、第44回光華講座「現代社会・信仰・仏教学」に行ってきました。講師はあの宮崎哲弥さん!「『求不得苦』=『求めるものが得られない苦しみ』を、どう克服するか」「『有身見』=『体がありありと存在すること』を“脅かす”ことへの恐怖を、どう克服するか?」等々、宮崎さんが仏教に関心を持ったきっかけの話を含め、(いつもながらの低姿勢な物言いで)いろいろと語ってくれました。中でも実に興味深かったのは下記2点。疑いとは言え、ガンに直面していたとは驚きでした。
宮崎哲弥 仏教教理問答宮崎哲弥 仏教教理問答
宮崎哲弥

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反市民の政治学: フィリピンの民主主義と道徳 (サピエンティア)」読了しました。市民圏と大衆圏、「お金持ち」層と貧困層との間にある大きな×2「道徳的分断」。中でも以下のような「価値観」の違いによる「分断」が個人的には深刻に思えました。

 ここでも言及されたように、貧困層が挙げたもう一つの価値は、貧富の差にかかわらず、誰もが公平に尊重されるべきだ、という人間の「尊厳」である。露天商は、「誇り高き仕事」といった語りを繰り返した。尊厳が貧困層にとって重要なのは、貧しい者ほど社会的地位の高い人から侮辱されることが多いからである。

縄手ワイン食堂にて、前途祝しつつ別れ惜しみつつなウクレレ部解散会。先月誕生日を迎えた私へのサプライズも!まったく予想してなかったので(サプライズだから当然なのですが)うれしかった!\(^o^)/
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4/24(水)に行われました、公開講演会「大学のディスクールと分析家のディスクール 精神分析家の育成からみた両者の区別の意義とねらい フランスの視点」@京大人文研に行ってきました。昨年にもありました公開講演会「ジャック・ラカンと精神分析家の育成の現在」の続編、という形でしょうか。「科学のディスクール(主体削除)のイデオロギーの前で、精神分析は時代遅れに見える」という不利な状況の中、「無意識の知」に唯一アクセスできる「精神分析」がいかに抗えるか、という内容で、大変貴重なお話を拝聴できたと思います。精神分析のみならず、人文知そのものの危機の話として、聞かせていただきました。ラカンに関する専門的な用語については下記を参照しました。
生き延びるためのラカン (木星叢書)生き延びるためのラカン (木星叢書)
斎藤 環

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知の教科書 フロイト=ラカン (講談社選書メチエ)知の教科書 フロイト=ラカン (講談社選書メチエ)
新宮 一成 立木 康介

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①「古代の知・科学の知」

・フーコー「主体の解釈学」。知は主体を変形し、倫理と結びついていた。

ミシェル・フーコー講義集成〈11〉主体の解釈学 (コレージュ・ド・フランス講義1981-82)ミシェル・フーコー講義集成〈11〉主体の解釈学 (コレージュ・ド・フランス講義1981-82)
ミシェル・フーコー 廣瀬 浩司 原 和之 Michel Foucault

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・デカルト的主体によって、「自己認識」が「自己配慮」にとって代わった。
・近代の主体=知識を得ること、自己を知ることを欲すること。
・すなわち、私がそれであると信じるものと、実際にそれであることとの距離を縮めることである。
無意識に到達するには(欲望について何も知りたくないという)抑圧を拒絶。無意識の開陳に接近。
・科学以前の世界では、知識は倫理に従属する。
・すなわち、自分のための知識の獲得より、自分の行動が道徳的な理想に合致していることが重要。
・ラカンは「(無意識の)知」と「知識」とを区別。
・「無意識の知」は、反省的知識とは異質。自我の手に入ることはない。
・一方で、「知識」は現実に捕らわれている主体のナルシシズムに引っかかる。
・抑圧=知ることの拒絶=私たちを無能状態に陥れる。自分の欲望について、私たちは何も知りたくない。
無意識の開陳にたどりつくためには、精神分析が必要。
・つまり、「知識」は「表面」に属する。
・最も真剣な神話「仏教」。最高の知の形態「学知ある無知」(クザーヌス)。
・ラカンは(哲学の、西洋的な知の)「本質主義」と「存在論への問い」を批判。
・哲学的認識の作業は「自我の幻」にのみ関わっている。
・近代的知=「主体を削除するイデオロギー」。「主体の欲望の原因となるもの」を排除。
・科学は「平均的個人に当てはまる法」を確立する。平均的個人=精神分析主体の裏面。
・精神分析の主体=肉体と欲望と享楽と身体から成る、特異な主体。
・精神分析の問い、現実界にアクセスすること。真理=シニフィアン的分節。無意識の現実界=到達不能。

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