わたり終えるか、転げ落ちるか
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
■「第七章 マゾヒスムとサディスム」より。序盤に「虚栄心の強い男は、自分の欲望を、自分自身の心の奥底から引き出してくることができない。彼はそれらを他人から借用してくるのだ。」という指摘があるのですが、それに対する回答として、個人的にいちばん印象的だった箇所。け、決して「マゾヒスト」つながりで心魅かれたわけでは…。

 マゾヒストは根源的にペシミストだ。彼は「悪」が結局は勝利するように運命づけられているのだと知っている。彼は大義のために戦うのは絶望した人間としてである。この戦いはますますもって《尊敬に値する》ものとなる。

 小説家は、その最高のチャンスにおいて―それはしばしば小説家の晩年においてなのだが、終局的な障害にうち勝つ。小説家は、マゾヒストが自己を自動的に同一化する「善」以上に、マゾヒストを呪縛する「悪」もまた現実性をもつものではない、ということを認識することができる。

欲望の現象学―文学の虚偽と真実 (叢書・ウニベルシタス)欲望の現象学―文学の虚偽と真実 (叢書・ウニベルシタス)
ルネ・ジラール 古田 幸男

by G-Tools
トクヴィル 現代へのまなざし (岩波新書)」の第4章(たぶん)について、相談させていただいたところ、オススメとしてお借りした本でした。ひと月もお借りしたままで本当にすみませんでした。

■「も、もう終わり…?」が正直な読後感。それこそ「ナショナリズムの由来」級に分厚い決定版みたいな形で出してほしかったお2人の対談。主題として特に後半採り上げられていた「ミメーシス(感染的模倣)」及びそれを人に誘発させる、カリスマの「利他性」について、以下の大澤さんの指摘がものすごくインパクトでした。

 ブッダの場合には、「人間→神」の方向の力が作用している。だが、キリストの場合には、逆に「神→人間」の方向で、つまり神を人間へと還元するような形式で力が作用しているのだ。
 -中略-
 キリストのケースは、ミメーシスに二つのタイプがあることを示しているのではないか。一方に、人間が神(すなわち第三者の審級)へと上昇し、消化されている様が直感されるがゆえに生ずる、感染がある。この場合には、特殊性(実例)から普遍性(真理)へと向かうベクトルが働いている。他方には、逆に、神が人間へと下降し、還元されていくことが原因となっている、感染がある。こちらでは、普遍性(神)が特異性(特定の人間)へと向かうベクトルが作用している。

大澤真幸THINKING「O」第8号大澤真幸THINKING「O」第8号
宮台 真司 大澤 真幸

by G-Tools
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://esk.blog9.fc2.com/tb.php/1010-5ec4200b
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。