わたり終えるか、転げ落ちるか
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ところで、「ぽぽぽぽ~ん」じゃなくって、「ぽぽぽぽん~」じゃなくって?やっぱ「ぽぽぽぽ~ん」って言ってますね。

■4月23日(土)、「レクチャー第一次世界大戦を考える 連続合評会」の第一回「カブラの冬」に行ってまいりました。762,796人の餓死者を生んだ「カブラの冬」について、第一次世界大戦を主に「たべもの」の視点から、わかりやすく書かれた本。思えば「たべもの」という、最も生理的なニーズの一つから歴史を考えるなんて、今まで思ったこともありませんでした。ものすごく新鮮でした。僕としては、著者の藤原先生の論文の中で、農民たちの日頃の苦労の「報われ」として、ヒットラーの登場を待ちわびる様子について詳細に論じられた、「待機する共同体:ナチス収穫感謝祭の参加者たち 1933-1937」の内容が特に印象に残っているのですが、これと関連して、「カブラの冬」が終わること、つまり、飢饉が明けて最初にまともな食事を口にすることを「待機する」大衆についての記述があったのかどうかが気になっていたのですが、時間いっぱいいっぱいで、聞けずじまいでした。あと、どういうわけか、この本を読んだ後、「ルタバガ」を食べてみたくて仕方なくなりました。
カブラの冬―第一次世界大戦期ドイツの飢饉と民衆 (レクチャー第一次世界大戦を考える)カブラの冬―第一次世界大戦期ドイツの飢饉と民衆 (レクチャー第一次世界大戦を考える)
藤原 辰史

by G-Tools

以下、気になった箇所のメモ書き。

・当時イギリスと1、2を争うほどの国、ドイツが没落していく様子に関心があった。
・ヒットラーがいた頃のドイツがご専門。
・第一次大戦のカタストロフィー、その20年後に、ナチスによるカタストロフィー。それはなぜなのか。
・とりわけHeimatfront「銃後(=直接戦闘に携わっていないが、間接的に何かの形で戦争に参加している一般国民)」に関心がある。
・「はじめに」では日本でも「飢餓」が話題になる様子を描く。「ドイツが飢餓に苦しんでいるらしいぞ、イギリスに兵糧攻めをくらったらしいぞ、日本がそれくらったらどうする?島国だし」。
・日本も1918年に米騒動があり、食糧政策において、ドイツと同時代感があった。
・永井威三郎(荷風の弟、メンデルの法則の紹介者)の文章がとりわけ新鮮だった。「おなかがすいてはいくさはできぬ」。
・「カブラの冬」については、英・米の研究書が多い。英語で書かれたものに興味深い資料が多い。
・飢餓状況になると、「ヤミ商品が出回る」、「買い占めが起こる」、「精神主義がはびこる」。
・第一次大戦、ドイツの快進撃は8月で終了→苦戦→対応が後手後手に→戦時食糧庁設立。「想定外」に対する政府の対応の遅さ、拙さ。
・皆が皆を疑いの目で見るようになる。「…さんが買い占めしてるらしいよ」「…さんが盗みをはたらいてるらしいよ」。配給に並ぶ列での会話。非常にストレスを抱えた状態であることがわかる。
・露骨に、上層の意見は重い、下層の意見は軽い、という図式が目に見える形で顕在化した「三級選挙法」。
・水兵たちの暴動。ヒマだったのでいじめがあった。
・内に向かう憎悪。外部の敵国への憎悪より、内部の社会主義者、ユダヤ人への「憎悪」の方が強かった。
・女性、子どもをポスターの前面に出すナチス。共産党、社会民主党の対象は「労働者」。ナチスは「選挙権保有者」(女性も含む)。「飢餓への恐怖感」をうまく取り込む。
・代用品(Ersatz)が流行るということ。肉のにおいのする魚「デデ肉」。大麦で作ったコーヒー。
・有事は平時の矛盾の表出である。
・配給制は人々を平等にしたか?ヤミ商による格差社会を生み出しただけ。
・都市=食べる人、農村=作る人という図式。都市から見れば、「農村の奴らが価格を吊り上げている!」。この亀裂やいかに。この「あいだ」を描くことが今後の課題(ナチスは「都市と農村の融合」を謳っていた)。


合評会は、あくまで(公開された)研究会。研究班の班員の先生に方々によって、その後怒涛のやりとりが。以下、書き取れた(聞き取れた)もののみ。だって、ものすごいスピードなんだもの。ほんとに。でもそういうのの片鱗を見ることができるだけでも贅沢。今さらですが、先生方、本当にすげぇです。

・英仏=美しい近代、独=いびつな近代。これは70年代の歴史家の間で共有していた図式。
・代用品(Ersatz)はまるで、米で作るパン、サイコロステーキ、のようだ。
・研究班では「近代性」「現代性」「世界性」「相対性」の視点で、いつも考えている。
ジェーン・アダムズのような、平和を目指す女性は、当時のドイツにいたのか?→思い当たるのはケーテ・コルビッツ
・平和を目指すと言っても、被害者側の声を代弁する人と、実際に平和を作る人とでは違う。
・非常時にはリベラリズムが破綻する。
・食糧を国家が管理しない時代=特殊な時代。18世紀では、王様の基本的な役割は、飢饉の時に民に食糧を分配すること。
・営利農業が成り立つ条件は、「自給自足を超える」、「市場が存在する」ということ。
・代用品(Ersatz)の発想は(代わりはいくらでもいる、という)機能主義的な考え方のハシリでは?


最後に、評者の先生や、班員の先生方の間でも、著者藤原先生の想いが(思わず)溢れた?、とても印象的な文章として挙げられていた以下の記載を。

 霧の向こう側で、人々は飢えている。こちら側では、広告料で外皮の肥大した食べ物を謳歌し、その贖罪としての、ロハスやらコーがニックやらショクイクやらに踊らされながら、「食べものっていのちの根源ですよね」と語り合う。こんな社会が、視界ゼロの極楽に到来するのもそう遠くはないだろう。だからこそ、せめて、大戦が生んだ無関心と暴力の結託、そしてそれを増進させた飢餓という大量破壊兵器の生成過程を描き出すことは意味のないことではないはずだと、自分に言い聞かせながら執筆した。

カブラの冬―第一次世界大戦期ドイツの飢饉と民衆 (レクチャー第一次世界大戦を考える)カブラの冬―第一次世界大戦期ドイツの飢饉と民衆 (レクチャー第一次世界大戦を考える)
藤原 辰史

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この箇所を巡って、ファッショナブルな「ロハス」バッシングが始まったのですが、僕は「飢餓という大量破壊兵器」という表現がずっと気になってしまって、内容をあまり覚えていません(すみません)。それにしても、762,796人。
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2012/04/04(水) 23:36:32 | 障害報告@webry
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