わたり終えるか、転げ落ちるか
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
5/14(土)、人文研アカデミーセミナー・シリーズ「政治を考える」の第一回目「アルチュセール-市田良彦著『アルチュセール ある連結の哲学』をめぐって」を拝聴してきました。第一回目アルチュセール、第二回目トクヴィル、第三回目ルソーと続く、とても楽しみにしているシリーズです。今回は第一回目アルチュセール。会場はほぼ満席でした。以下は、司会の王寺先生が「この本の核では?」として指摘されていた箇所。

 例外的なものとして生起する「状況」を対象に、彼は毛沢東に範をとってマルクス主義理論を作り変えようとした。どれほど「全体構造」を強調し、構造による決定を説いても、彼は実のところ構造そのものがどのようであるか、諸要素の連関がどのようになっているかを構造言語学や構造人類学にように描写したことがなく、彼の〈理論〉はもっぱら、構造の作用や効果としての「変異」にしか関心を向けていなかった。つまり構造の「なか」にではなく、その「そと」との関係に、それも構造の形式性や一般性との対比では異例のものとして出現する「そと」との関係にしか。

アルチュセール ある連結の哲学アルチュセール ある連結の哲学
市田 良彦

by G-Tools
王寺先生のアルチュセールに関する論文「必然性/偶然性--ルイ・アルチュセールにおけるルソーと啓蒙 (ジャン=ジャック・ルソー問題の現在--作品の臨界をめぐって)」を事前に読ませていたいていたのですが、そこで「この『偶然性の必然性』こそが、必然化された秩序を偶然的なものとして認識させるとともに、いかなる既成の秩序においてもつねにその根源的な偶然性がとどまること、したがってその秩序への可変性が潜在し続けることを示すのだ」と指摘されていた点と、重なる気がしました。「根源的な偶然性」、「秩序への可変性」、この2つで頭がぐわんぐわんした2時間でした。

その他参考になった論文↓
1998「討議 アルチュセ-ルのアクチュアリティ (特集 アルチュセ-ル)」(今村 仁司 , 市田 良彦、現代思想 26(15), 68-92)

とても難しかったですが、今回もいろいろとヒントになりそうな箇所をメモしました↓

王寺先生
・10月革命~ソ連崩壊まで、社会主義と同時代を生きたのがアルチュセール。
・一般的には「構造主義者」と言われている。
・マルクス主義的には「理論的反マルクス主義者」。
・人間の解放、階級闘争を再定式した。
・市田先生は、「ずいぶん変わったアルチュセール観」を持っている。


市田先生
・少し前に、精神分析家の前で話す機会があった。
・質問者「アルチュセールは哲学者として失敗したのか?」「絞殺・マルクス主義の導入…これは失敗でしょう?」
・これにはカチン!ときた。だって、哲学には、成功も失敗もない!
・確かに妻絞殺は大スキャンダルだった。大学中で噂になった。
・哲学は「政治」と「精神分析」から自立しえない。それぞれ依存しあう、還元不可能な関係。
・「政治実践」と「哲学」を連結させること。フーコーはそういう状態を「クモの巣」と比喩した。
・哲学とは「真理」「権力」「主体」を総合するメタ理論をめざすが、それはありうるだろうか?
・『つなぐための「切断」』という言葉をある時期から、アルチュセールは言い続けていた。
・「歴史が名指す主体」「実際にあらわれる主体」は違う!これはアルチュセールに一貫して流れている思想である。
・「国家は(形成しようという「努力」は存在するが)実在しない」(フーコー)という言葉が、市田先生の頭の中にずっとある。

阪上先生
・市田さんとは院の時からのつきあい。こんなに難しいことを書く人だとは思わなかった(笑)。
・60年代の安保闘争。共産党力は低下する。そういう状況の中で、アルチュセールは「神聖なもの」として受け入れられた。
・歴史必然性という言葉。あくまで「必然」であって、「法則」という言葉を使っていない。科学とは違う。
・マルクスの歴史理論とは…「状況の理論」だった。
・「哲学」と「政治」との「関わり」において、アルチュセールは必ず登場する。
・政治と科学との両面でやり続ける。76年、77年、哲学の議論を政治との関わりの中で変えていく。
・そもそも政治とは、「神」から「人」への営み。
・マキャベリ「君主論」に注目した。「君主と民衆はわかりあえない」という認識。
・理論と実践は違う。権力を持たないとだめ。ただ、この理論と実践の「違い」があることそのものが重要。
・アルチュセールの言っていることは、「全体としての1つの理論」である。
・逆説的な思考(論理)が好き。これがアルチュセールを魅力的にしている(これは市田先生にもあてはまる)。

市田先生(リプライ)
・私は「逆説好き」ではなく、こだわりがないだけ。いつでも作り替えることが可能、という状況が好き。
・当時のマルクス主義者の間では、「真のマルクス主義」合戦(レーニンか、初期マルクスか、等)が激しかった。
・問いの「空間」を空けておかないと!
・マルクス主義とは、必然性を問う(追う)科学であったが、「違うマルクス主義」が「ありうる」という立場。
・カトリックの理想と共産党がつながっている。これはもう驚くべきこと。

小泉先生
・読みやすく、わかりやすい1章。論壇的に最も成功している2章。1、2章は読めばわかる、という感じがする。
・しかし、3、4章は難しい。特に「二重化」の話。3章3節はわかりやすいのだが…。

市田先生(リプライ)
・「出会い…」はただの「世界観」であって、評価しているわけではない。
・旧アルチュセール支持派:自伝を評価しない、新アルチュセール支持派:自伝を評価する。
・ありふれたものとしての立ち現れる政治がある(がゆえに)ありふれていない政治が重要になる。
・媒介としての「逆説」。正反対のものへ「移行」するしかけ(装置、道具)としての「逆説」。
・①科学的(必然的)に考えるのを捨てる、②その中で何が可能か?→客観・理論でもOK。
・主体-客体の(すり合わさっていく中での)「出会い」。
・ありふれてしまったら、それは思考ではない。心理的、主体的に何かが起こることが思考である。

あ、市田先生って、関西弁の岸辺一徳!?とずっと思ってしまいました。どうでもいい話ですが。
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://esk.blog9.fc2.com/tb.php/1020-6bb658fa
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。