わたり終えるか、転げ落ちるか
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
■毎日蒸し暑くて嫌になります。

■5/30(月)、「レクチャー第一次世界大戦を考える 連続合評会」の第二回「『クラシック音楽』はいつ終わったのか?」に行ってきました。「台風は一過しましたが、今日は2つの台風(岡田先生・片山先生)が来ております!」(by 山室先生)という快調な案内から始まりました、今回の合評会。会場はぎっしぎしの超満員(めちゃくちゃ身を縮めて座ってました)。
「クラシック音楽」はいつ終わったのか?―音楽史における第一次世界大戦の前後 (レクチャー第一次世界大戦を考える)「クラシック音楽」はいつ終わったのか?―音楽史における第一次世界大戦の前後 (レクチャー第一次世界大戦を考える)
岡田 暁生

by G-Tools
岡田暁生先生と言えば、「西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)」であるとか、「音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書)」であるとか、一般向けにわかりやすく音楽について解説された本が多数あり、または、現代文でも超頻出な方ですので、そのわかりやすく、それでいて美しい文章を目にされた方は多いと思います。その一方で、NHKで放送された「スコラ」等で全国的に披露されたその「話芸」とのギャップに驚いた方も多いのでは。いや、それにしても「春の祭典に中2でハマった」という岡田先生のクラシックへの熱い思い満載のこの話芸、小林秀雄の講演録CDみたいに、記録できるものはすべて形で残しておくべきでは、と思いました。ほんとうに、すごく、熱いんです。

何はともあれ、これほどに濃密な4時間を過ごしたことはない、と思えるくらいの濃密なひとときでした。以下、たぶんこれの3倍以上はお話されていたと思うのですが、記録できた限りでのメモ。

・音楽は文学・美術と比べて、(第一次大戦のような)現実と関係ない、ということを痛感。
・戦争文学、戦争画家のようなものが、音楽にはない。ある種のうらやましさを感じる。
・アドルノの音楽観=「現実から閉ざすもの」、そこから逆説的に「現実を写すもの」。これは難しい理屈ではなく、「音楽そのもの」と考えた方が良い。
・兵隊はどういう音(楽)を聴いたか?歓声、愛国歌、勇ましいファンファーレ。
・現地でのギター演奏。ギターがなくなったら即席マンドリンを作って演奏。
・他に聴いていた音。ガス音(シュー)、爆発音(ドカーン)。
・行進曲を演奏する等、軍楽隊は、第一次大戦時に重要視されていた。
・オペラ劇場で演者をするより、高給。オーケストラメンバーも皆、軍楽隊に入った。
・夜はまさに豪華絢爛!上官のサロンは豪華。食事、生のピアノ演奏。ムード音楽をいつも弾く。ヴァルターの回想録にそう書いてあった。
・ベルリン、ウィーンでは、慈善演奏会がやたら多い(戦意アップ目的)。
・お笑い演劇(一部の知識人は眉をひそめる、愚にもつかないバカ芝居)のウケが良かった。
・1908年あたりからさかんだったアヴァンギャルド系音楽が消える。
・これは「文化の浄化」だ!「ベートーベン、ブラームス、ワーグナー、伝統音楽が残るのだ!」と保守派大喜び。
・ワーグナー、ベートーベン、保守派、伝統。敵国に対する絶対的優位。
・(9割はドイツの)クラシック、シェイクスピアは上演され続けた。
・「サロメ」はウィーンでは上演されなかった。エログロだから検閲にひっかかった。しかし…音楽的には実に素晴らしいものだった!
ヤナーチェクがスターダムに。戦前には相手にされなかったものが受け入れられる風潮。
・音楽雑誌の話。1914、15年は、戦争記事ばかり。内容は「困窮している音楽家を救え!」みたいなもの。
・クリスマスの頃には終わる、とされていた大戦がなかなか終わらず、非常時が常時(=常に非常時)になってからは、普通の内容(学術的な記事、オーケストラの海外旅行)に戻る。
・1917年くらいにイスタンブールフィル、ブダペスト・フィル等が活躍。ウィーンフィルとベルリンフィルが互いの国を行ったり来たりしていた。
・パリ万博(1900年)にウィーンフィルがゲスト出演。世界初のオーケストラの海外演奏。しかし大失敗。
・ウィーンフィルがジュネーブに来る。敵国ロシア、フランスの楽曲も演奏。
・戦争中には席の組み替えがあった。一番良い席にいた人が姿を消す。教養ブルジョアの没落。
・石炭不足で16:00には開演(電力不足のため)。コンサート中の停電も多々あった。
・1900年時点にすでに(小関先生のようなw)(ぴあ的)「コンサートライフ」は確立していた。
・19世紀の後年、鉄道網の発達。大ホール。ナイトライフを可能にする電気。マネジメントの発達。
・音楽の「資本主義化」はけしからん!と(マネジメント発達を)批判。「金儲けの対象にするな!」
・小麦の独占と同じくらい(音楽の商品化は)罪!音楽は「共有財産」なのだ!
・第二次大戦中(1945年3月)、ベルリンフィルはラヴェルやドビュッシー、敵国の楽曲も演奏した。このような考え方(いい楽曲であれば、敵国であろうとなかろうと関係ない)のルーツは第一次大戦時からあった。
・1~3章は概説。誰でも知っていることを書いた。
・4、5章は独自の論考。オリジナリティが高い。独・英で今すぐ発表してもおかしくない。
・「第一次大戦(=ナポレオン戦争の延長)であって、大したことない。近代音楽は、第二次世界大戦(1945年)から」といった某先生のお知り合い(誰だろう?)この物言いに岡田先生カチン!
・中世のルネサンス音楽にはとてつもない教養が必要。五線譜「以前」の譜面が読める。ラテン語ができる、等。
・心を一つにする音楽を徹底拒否(アドルノ)。コンサートにおける音楽は終わった。個人にダイレクトに語りかけるもの。
・アドルノが言ったことはベッカーが言っていた!
・パウル・ベッカー「西洋音楽史 (新潮文庫)」。
・ベッカーはベルリンフィルのヴァイオリニストだった。その後批評家に。

片山先生は「『クラシック音楽』はいつ終わったのか?」の丁寧な読解プラス、「カスタルスキー(ロシア)のある楽曲の一部が思いっきり『君が代』!」という小ネタや、「ピツェッティが日本のために書いた曲(50分の大曲(交響曲)、戦後に1回だけ演奏されたのみ(理由:ファシスト曲と誤解))」をちらっと聴けたり、実際に曲を聴きながらの解説がいくつかあり、とてもおもしろかったです。

その他質疑等で興味深かった岡田先生の発言メモを。

・タイトルにつけた「終わり」はあくまで「目印」。 あくまで「切れ目」、として。
・世界のヘゲモニーの終了。クラシック=権力の象徴。ポピュラー音楽がヘゲモニー化。
・ベートーベン、モーツァルト。社会が作り出した「形式」。共同体的な精神。
・パブリック=ホール/親密圏=居間(連弾)、が唯一の再生方法だった。
・ドイツ音楽のイディオムは言わば、(カレーの)ルー。作曲者によって違いを出せるのは、「+スパイス」の違いのみ。
・ハプスブルク的なものの崩壊=クラシックの終わり。
・強度に仏化したストラヴィンスキー。
・ストラヴィンスキーの作曲スタイルの変化。楽曲を理性で作り上げる、という形が壊れる。理詰めから深層心理的な。
・大衆化した20Cのクラシック=ハリウッドの映画音楽。
・産業化の担い手=ユダヤ人=音楽マネジメント。ユダヤ人には演奏家が多い。作曲家が少ない。媒介者。
・亡命先はスイス。高名なアーティストが多く逃げる。
・オリンピックの優勝者は東(共産)に多い。演奏家も同じ。理由はやはりシステマティックな訓練。11、12歳でほとんど弾ける猛者をモスクワに集める、みたいな。
・国際主義(形式を変えたフランス主義)=国際協調主義。
・12音技法(神秘思想がルーツ・科学技術は関係ない・1941年の段階では、よくわからないもの、として紹介されていた)を知らせた人にだけ知らせていた。

個人的には、最近「ピアノ教育におけるタッチの問題とわざ言語」という論文を読んだこともあって、「第一次大戦中に『わざ言語』の変化はあったのか?」「戦争用語を用いた『わざ言語』、というものはあったのか?」をお聞きしたかったのですが、時間切れ。いつか、聞けないかなぁ。
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://esk.blog9.fc2.com/tb.php/1025-ca1917bc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。