わたり終えるか、転げ落ちるか
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6月~7月にかけて行われました人文研アカデミー連続セミナー「生命・差異・表象」に行ってきました。先生方のお話を拝聴し、「表象」の危うさは当然のことながら、自分の「ものの見方」の危うさがぐーらぐらした2ヶ月間でした。今もぐーらぐら。
■第1回目トップバッターは竹沢泰子先生。「アメリカ優生学と差異の表象-移民・人種・階級」。「人間の集団とはどのように生まれ、どのように差別されてきたのかについて、ずっと研究してきました」。「最も適した家族コンテスト」「最も適した赤ちゃんコンテスト」(優勝者は北欧・西欧系の白人)「強制断種」「「The Kallikak Family」に見られる精神薄弱の遺伝性」(ベストセラー!)…と続けて「適者生存的な」出来事や背景について解説((確実に避妊できる)精管切除法の拡がり方にびっくり。また、「優生学(eugenics)」という言葉を造ったゴールトンとダーウィンがイトコ、とかさらにびっくり)。それにしても全体を通して気になったのは、「好ましくない女性(高学歴化による出産しない、とか)」「好ましくない移民(主に南欧・東欧・アジアへの移民を警戒)」(さらにはそれを制限する「移民法」)という言説に見る「好ましくない」「好ましからぬ」という表現。一体誰にとって?
人種の表象と社会的リアリティ人種の表象と社会的リアリティ
竹沢 泰子

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The Kallikak FamilyThe Kallikak Family
Henry Herbert Goddard

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「人種はヨコに分類されるのではなく、タテに(ヒエラルキーを伴って)分類されていく」というご指摘が妙に頭に残っています。しかし、一体誰によって?

■第2回目は日下渉先生。私プログラムの研修と重なってしまい、お話聴けず…残念無念。

■第3回は加藤和人先生で「ヒトゲノム研究における人種・エスニシティ概念」。「私から見ると皆さん、ゲノムが座っているように見える!」というインパクト大過ぎるお言葉から始まりました。世界中のゲノムを解析した結果、それは古くから「人種」と呼ばれたカテゴリーと一致するのか、というとても重要な問い。一般的には、集団間の境界は明確ではなく、例えば「アフリカ」をひとくくりにしてよいとはとても考えられない。「ゲノムマップが書けたからと言って、どういう暮らし方をするか(環境)で、人は全然変わってくる」。古典的な「人種」カテゴリーには、生物学的・遺伝学的根拠はない。にもかかわらず、例えば「人種の違いが遺伝的に証明できる」「特定の人種に効く薬がある」等の発言もあり、右往左往しているのが現状。

このような状況で重用になってくるのが「何が科学的に正しいか(=人種は科学的に根拠があるかどうか)」より、「どのようにして様々な言説が生まれてくるのか」を分析すること。「Natural Science」に対する「Social Science」。何だかお話を伺っているうちに、「人種(の違い)があると思いたいヒト」と「人種(の違い)がないと思いたいヒト」の「…たい」の部分が、右往左往させている原因ではないかという気になってきました。

<関連>
GENOME MAPヒトゲノムマップ
1家に1枚。GENOME MAPヒトゲノムマップ(ポスター)※早速部屋に貼ります!

■第4回は田中祐理子先生。タイトルは「医学史における<反対物の一致>-表象と想像力を考える」。冒頭は震災のお話から。関東大震災のときにも「天罰」発言があったことが紹介され(びっくり!)、「正しいか正しくないか」より、「事実か」という考え方が重要、「天罰だなんて科学的には誤りだ」なんて百も承知で「天罰」の発言者は言っているのだから、それに対して「有効な反論」を考える、という視点から本日の講義を、というお話からスタート。

「絶対的に最大の真理を知るためには、人間的な「知識」「理解」の形式の限界を超える必要がある」「より『高次』の知識を求めるために、自分が現在持っている『知識』の形式を相対化する」という、クザーヌス(ドイツの思想家)の「反対物の一致」という考え方の紹介(ふと思ったのですが、大澤真幸さんの論考の書き方って、まさにこれな気がしました)。

コレラ(菌)を可視化した「顕微鏡写真」と「死神の絵」のお話が強烈。顕微鏡という当時の最も優れた技術で可視化された「顕微鏡写真」と、誤った(?)想像でもって表象された「死神の絵」。それぞれの長短。先生の最近の論文「19世紀の果実、20世紀の種子」の以下の箇所を思い出しつつ唸りました。

…「科学」とは一体何ものなのか。二〇世紀のエピステモローグがどうしても問わなければならなかった問いとはそれであろう。「真理とは、生命の長い年代記において、最も新しい誤りである」。しかし科学者の誤りはもはや決して真理それ自体の罪ではありえない。今ほど「真理」が人間の手の触れられない、しかし確固たる現前あるいは身体性を持つものとなったことはあっただろうか。そして「身体性」と「正常=規範」との間にー「知」を介して-奥深く結ばれる関係が、権力と暴力を呼ばずにはいないことをカンギレムとフーコーが終生の問いとしたこともまた思い起こされるべきであろう。「生命の科学」の認識を支えている「生成する自然」の力能を批判するという仕事は、今こそ最も哲学者によって引き受けられなければならない、そのようにカンギレムの選択は主張したのではないか。誰が語り、何が語られているのかがこれほど不明瞭な事態を、「批判すること」を使命として任じた者たちは捨て置いてはならないのだ、と。

啓蒙の運命19世紀の果実、20世紀の種子:啓蒙の運命
田中 祐理子、富永 茂樹

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最後は駆け足になっちゃいましたが、「…1時間、延長しましょうか?」とか言ってほしかったくらい、とても興味深いお話でした。「人間であることはやめられない」という〆のお言葉も素敵でした。

■そして最終回は菅野優香研究員。タイトル「生=性を映画的に想像する」。まず表象は、「おそれ」と「欲望」によってできあがるというお話から。例えば、「おそれ」は「生殖への介入」「異性愛」という形で表れ、「欲望」は「よりよい性」「病気予防」という形で表れる。DNA構造の可視化については、教科書の図ですらすでに「表象(=リアリティーではない)」というお話がインパクト大。その後「ガタカ」と「CODE46」を少しずつ鑑賞しながら、どのように性、遺伝、人種が表象されているかについて解説。

ゲノム、遺伝子、DNAの視覚化の特徴として挙げられていた「対称性」「反復性」「連続性」。映画の表象よりも、紹介されていた下記サイトが衝撃的でした。
<関連>
DNA Art by DNA 11 | Your DNA as artwork on canvas
ガタカ [DVD]ガタカ

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CODE46 スペシャル・エディション [DVD]CODE46

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精緻なロジックで、客観性を重視して記述される科学と、監督の主観で、思い切り装飾される映画。でもそれぞれ多かれ少なかれ、何かによって可視化された「表象」。(真理の)神からみれば五十歩百歩?
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