わたり終えるか、転げ落ちるか
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10/22(土)、人文研アカデミーセミナー・シリーズ「政治を考える」の第二回目「トクヴィル-富永茂樹著『トクヴィル 現代へのまなざし』をめぐって」を拝聴してきました。「トクヴィル」に関するオープンな会は、4月の合評会に続いて2度目。今回は「〈私〉時代のデモクラシー」の宇野重規先生も登壇されるとのことでさらに楽しみにしていました。
トクヴィル 現代へのまなざし (岩波新書)トクヴィル 現代へのまなざし (岩波新書)
富永 茂樹

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〈私〉時代のデモクラシー (岩波新書)〈私〉時代のデモクラシー (岩波新書)
宇野 重規

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以下気になった先生方のご発言メモ。まずは富永先生から。

・本の感想はブログで見つけた(普段はめったにそういうのは見ない)。
・「何でもかんでも詰め込んでいる割には扱いが軽い」と書いてあった。
・私は元々軽い人間。深く問い詰めるのが不得手。
・「トクヴィル」は、「実存主義的なトクヴィル」「文学的なトクヴィル」ですね、と岩波の編集者に言われた。
・近代とトクヴィル、現代とトクヴィル、政治とトクヴィルについて考えてきた。
・30~40年前、トクヴィルは「大衆社会(1950~60年代)の予言者」と呼ばれていた。by J.B.メイヤー(社会学者)。
・リースマンは社会的性格を「伝統」志向型、「内部」志向型、「他者」志向型の3つに分類している。

孤独な群衆孤独な群衆
デイヴィッド・リースマン

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・このうち「他者」(志向型)は「大衆社会」の代表的人格。周囲にいろいろ気を使っている孤立した人間。主体性のない人間。このタイプを19世紀にして発見していたのがトクヴィル。「大衆社会の予言者」と呼ばれたゆえん。
・その一方、「内部」志向型とは、確固とした自己。
・リースマンはトクヴィルを引用しまくっている。
・「自立性の衰退」「他者指向型に向かう」「内面が問題」VS「内部指向型も他者に目を向ける」「外面に目を向ける」。
・1969年に富永先生は大学に入学。「大衆社会論」を最初に学ぶ。
・トクヴィル≠大衆社会の発見者。
・「強い主体」(内部指向型)を認めていない。
・「大衆社会の政治」(コンハウザー)では、「中間集団がどれだけ強いか」を指標とする。
・デモクラシーが達成されればされるほど、中間集団は弱体化する。
・加藤秀俊(リースマンの翻訳者)のゼミでリースマンを読む。作田啓一のゼミでコンハウザーを読む。
・大衆社会は市民社会の「成長型」か「失敗型」か。過剰同調。
・コンハウザーの分類。「共同体的社会」「多元的社会」「全体主義的社会」「大衆的社会」。
・中間集団が社会の中でどれだけ強いか、個人をどれだけ包括しているか。外部への抵抗力。
・フランスはイギリスと違って、中間集団が弱い。
・リースマンの場合、内部指向型の人間の自律性が失われる。
・丸山真男の背景にトクヴィル。
・自立、民主化、原子化、私化。
・市民社会、内部指向型、がかつては存在していた(但し、アングロサクソン社会を想定)。
・「アメリカのデモクラシー」の中で注目したアイデア。人間の「独立」ではなく、「孤立」(あるいは同時に存在している)ということ。「埃」となった社会。
・鎖の輪がバラバラになっていく。市民社会が成立していたそのときに。
・「民主的な専制」。
・コンハウザー的には、トクヴィルは「全体主義社会の予言者」。
・19世紀前半。「デモクラシー」。身分秩序→平等→「何者かにならなければいけない」。
・(アイデンティティ上の)位置取得ができない。個々人の主体。精神的な病理。
・20世紀の大衆社会論を含みんだ、現代のデモクラシーの反省として。

続いて宇野重規先生。思い浮かべていたイメージと全然違う見た目と語り口でした。
トクヴィル 平等と不平等の理論家 (講談社選書メチエ)トクヴィル 平等と不平等の理論家 (講談社選書メチエ)
宇野 重規

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・トクヴィル業界は零細企業(中小企業)。でも成長産業であることは確か。
・「地方自治」の文脈でトクヴィルがよく引き合いに。
・保守主義、西部邁、オルテガと並べて論じられた。
・トクヴィルはフランス革命・2月革命に批判的だが、保守主義ではない。
・佐々木毅の還暦特集に「保守主義」を書け!と言われたのでそういうイメージなのかも。
・平たく言えば「人と人とのつながりが大切」と言った人。
・実際は、パットナム「孤独なボウリング」のような状態。日本だと「孤独なカラオケ」?(会場笑)
・「アメリカのデモクラシー」と「アンシャン・レジーム」。前者は人民の政治参加に肯定的・強調。後者は革命に批判的・伝統的な遺産を強調。
・人民の政治参加で「ALL OK」?
・トクヴィルは強い人ではない。家族は皆保守派。アイデンティティの危機があったはず。
・トクヴィルの原理・背景。カトリックの思想家と言われるが、そうではない。
・最後まで(権威的な)何かを信じることはできなかった。
・「トクヴィル」は「変化球気味」のトクヴィル入門。
・「自分(の頭)で考えたい」と思えば思うほど、「世の流れ(世の多数の声)」から疎くなる。逆説。
・最後まで「憂鬱」で行ってほしかった。
・外の権威を拒否するならば、内面に向かうしかない。
・「皆自分と同じような身分」と思う社会は、バルネラブル。つまり脆く、ひ弱。
・「不平等を認める社会」が、トクヴィルの考える平等社会。が、しかし私たちは(カッコ付き)「平等社会」とつきあうしかない。「他者との比較が気になって仕方ない」、そんな社会と。
・Social Capital/NPO発展版/中間集団…つまり「Association」で「トクヴィルの憂鬱」は乗り越えられるか?

富永先生の回答は以下の通り。気になるのはやっぱり「次の次に書く予定の本」ですよ!

・憂鬱からの脱却は可能か?と言われれば可能(不可能ではない)。
・「トクヴィル」には書かれていないが、次の次に書く予定の本のテーマなのでお待ちください。「トクヴィル」ではようやく入口に立った段階。
・トクヴィルによってそれ(=憂鬱からの脱却)は可能か?残念ながら、トクヴィルはそれに気付いていないよう。
・ボードレールらの方が憂鬱脱却の可能性はある。

最後は第一次世界大戦の合評会でも多くお話をお伺いできる機会がありました山室先生。少し別の角度からのご指摘で、大変興味深かったです。特に(個人、国家の)「自立」に関しては、(私が読ませていただいた限りの)先生のご著書・論文にもそれ(=自立)への思いが強いものが多いですし。
複合戦争と総力戦の断層―日本にとっての第一次世界大戦 (レクチャー第一次世界大戦を考える)複合戦争と総力戦の断層―日本にとっての第一次世界大戦 (レクチャー第一次世界大戦を考える)
山室 信一

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・とても趣味の良い本。様々な蓄積が散りばめられている。
・トクヴィルの「人間そのもの」が出ている。
・戦前にはなぜトクヴィルは受け入れられなかったのか?主権論争「主権はどこにあるのか?」と関わりがある。
・明治6年「上本自由論」。発行(内容ではなく)の自由※出版の自由との違い。
・日本で最初にトクヴィルに関心を示したのは森有礼。
・翻訳書がすべて。フランシス・リーバー。Citizen「市民」と訳した早い例。
・吉野作蔵の前に「民本主義」を使っていた人。「大正デモクラシー」は戦後に作られた用語。
・井上毅は「地方自治だけが自治」と言った。
・天皇がなくて自治するのがindividual「近代の確立」。国家の独立。一人一人の独立。
・「改革」→「飽和/翻弄」→「失望」→「民主的な専制/習慣的な専制」。
・「平準化=凡庸化」した社会に対して新たな政治学が必要。
・インターネットでそれは可能?それは「顔」VS「匿名」問題。

富永先生の回答は以下の通り。「憂鬱を抱えながら」で締めくくられました。

・アソシアシオンを必要とする社会はアソシアシオンが困難な社会。
・「(アメリカのような)自己利益追求型モデル」で形成される社会は可能か?
・トクヴィルはアメリカの友人宛の手紙で「利益(正しく理解された利益)がアメリカ国民をまとめている」。
・但し、焦燥感にいつもアメリカ人は囚われている。それに「個人主義」は他者への関心を薄める。
・政治・社会の秩序の崩壊。その再形成を考える。憂鬱を抱えながら。

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