わたり終えるか、転げ落ちるか
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随分前に書いてボツにしたヤツなのですが、最近この話の内容(この話を書くことで描きたかったこと)がちょっと気になってしまって。メモ的にアップ。下手っぴでごめんなさい。

 木下マキアートは、今年で三十三歳になる。昨年結婚して、旧姓の園田から木下に姓を替えた。園田マキアートと言えば、業界では割と名の通った空間デザイナーだったが、彼女のデザインは国内で流通するには、「あるライン」をいささか越えてしまっており、海外での評価は高かったものの、国内ではあまり受け入れられてはいなかった。しかしとても幸運なことに、彼女はそういう事実をありのままに受け入れていた。事実をありのままに受け入れる。これが彼女の人生訓だった。

 -国内では受け入れられずに、海外で受け入れられている。
 -そう。海外市場だけにしぼる?
 -いいえ、私はこの国で成功したいの。
 -じゃあ路線を変える?この国好みの。
 -いいえ。路線は変えたくない。私にはそんなことはできない。
 -じゃあどうする?
 -路線を変えずに国内で受け入れられる方法はある?

 事実をありのままに受け入れた人ほど、次に採るべき現実的な選択を決めるのに苦労しない。

 迅速かつ抜かりのない熟慮を経て、彼女はかなり早い段階から、海外での活動に重点を置くことにした。それはもちろん、「海外市場だけにしぼる」ことが目的なのではなく、「海外での評価が高い」という情報を国内にもっと流通させることが目的だった。コンクールにも、いつもより積極的に応募した。受賞すればすかさず、その情報をマスコミに流すようにした。デザインそのもので勝負したい園田マキアートとしては、少々不甲斐ない方法ではあるけれども、現実的には仕方ないことくらいわかっていた。そう、ここでも彼女の人生訓が生きている。そして実際、彼女が採った方法はとてもうまくいった。

 空間デザイナー・園田マキアートが、その成功の上り坂を着実に上り始めた時、当時彼女のアシスタントを務めていた木下シクラメンとの結婚が決まった。周囲からは結婚後も、園田性を名乗るよう強く求められた。籍を入れない、事実婚を積極的に勧められたのだ。あまり採りたくない方法にすら甘んじ、ここまで苦労してやっと、希望通りに国内にも認知され始めてきたんじゃないか。確かにマキアートという呼称は残るが、苗字がここで替わることは、振り出しとは言わないが、これまでの半分、いやそれ以上の道のりを棒に振ることになってしまう―木下マキアートが、園田マキアートと同一人物であることを知らしめるのには、また新たな時間的・金銭的コストが発生するだろうから―。それではあまりにももったいないじゃないか。何と言っても消費者は、デザインそのものではなく、「『海外での評価が高い園田マキアート』がデザインした」という事実を消費しているのだから。彼女を支えるスタッフはおろか、両親や兄弟を含めた肉親にすら、そういう声で充満していた。夫の木下シクラメンも、その声に賛同の意を表していた。むしろ僕が姓を園田に替えたいくらいだ、とも言っていた。

 「事実をありのままに受け入れる」という人生訓を忠実に守るならば、園田姓は残すべきだった。しかし彼女は初めて、このありのままに受け入れるべき事実を、きっぱりと拒絶した。人生訓よりも大切にしなければならないことがあることに、彼女は気付いてしまったのだ。それはひと言で言えば、ある種の「芸術的直感」だった。こんな考え方をするようになるなんて、自分でも少し不思議だったが、それでも彼女は強くこう思ってしまったのだ。事実なんてどうでもいい、私はこの直感に従うべきなのよ、と。やがて彼女のその確信に満ち満ちた態度に、周囲の声は次第に小さくなっていった(正確には、小さくならざるを得なかった)。

 しかし彼女のその「芸術的直感」に反し、木下マキアートへの評価は、信じられないくらい下降の一途を辿った。あれほど苦労して手に入れた国内での知名度は、あっという間に失われた。

 今からでも遅くはない、園田姓に戻そう。そういう声はより一層強くなった。木下マキアートのアーティストとしての自尊心への配慮から、経営を成り立たせる上での懸念から、新婚夫婦それぞれの地元での噂話への心配から、実に様々な観点から、声がより一層強くなっていくのが、木下夫妻には痛いほどよくわかった。それに対して木下マキアートはこう説明した。
 「確かに私に対する評価はどんどん下がっている。無視されていると言っても良いのかもしれない。でも木下姓に替えてからというもの、私のデザインのクオリティは飛躍的に向上していると思う。それは自分でもよくわかるの。結婚して家庭を持つことができたっていう安心感からかな、以前は思い浮かばなかったようないろんな斬新なアイデアが次々と浮かんでくるの。つまり、少なくとも私の中では、木下マキアートは園田マキアートを完全に凌駕しているのよ。みんなが気を揉んでいることは、私としても非常によくわかっている。でもこれだけは信じてほしいの。もう一度言うわ。少なくとも私の中では、木下マキアートは園田マキアートを完全に凌駕しているのよ」
 もちろんスタッフとしても、木下姓になってからの作品群のクオリティが向上していることは、長年彼女の作品を見てきた彼らにとっては一目瞭然の事実だった。しかし、いかんせんちっとも評価されないのだ。

 発注が来ない間、木下マキアートの卓越した空間デザインのアイデアの数々は、夫との新しい生活空間の設計に、ほとんど全て用いられた。美容師が自分の髪にはさみを入れるようなものだ(それもとびっきり斬新な髪型を)。周りのスタッフとしては、そのあまりにも斬新なデザインに商品的価値が付かないことを、ひどくもったいなく思ったが、そのような価値から離れたところで彼女のデザインが具現化されるというのも、決して悪くないような気もした。事務所の経営も、園田時代の貯金でまだ何とか切り盛りできるし、地元での悪い噂話も全く起こっていない。
 木下マキアートは、海外のデザイナー仲間が来日するたびに、よく自宅に招待した。当然、彼女のデザインは心からほめられた。素晴らしい。結婚してさらに磨きがかかったんじゃないか?ぜひ詳しく話が聞きたい。彼女がどれだけ、実は全く発注がこなくなってしまったのよ、と説明しても、日本人独特の謙遜の美と解釈された。それもそのはずだ。姓が「園田」から「木下」に変わったことが原因で発注が全くこなくなっただなんて、彼らのうち誰が信じるだろう?しかし、だからと言って、木下マキアートはそういう事実に対して全く不満を抱かなかった。ただ純粋にデザインの喜びと、妻としての喜びと、そしてデザイナー仲間と楽しく過ごせるひとときによって、木下マキアートの心は十分に満たされていた。
 しかし、それほど穏やかで満たされた心にさえも、木下マキアートとしてもう一度海外で認知され、そこで得たネーム・バリューを逆輸入する、という「例の」方法は、全く思い浮かぶ余地がないようだった。それは園田マキアートしては受け入れられた方法だったが、木下マキアートとしてはもう受け入れられなくなってしまったのだ。


 あれから三年後、とうとう財政的にも底をつきた木下マキアートは、家にスタッフを集め、あれこれと事情を説明し、そして一人ずつ全員に退職金を手渡したあと、夫の木下シクラメンと共に深々と頭を下げ、これまで尽力してくれたお礼を言った。あなたちのことを心から誇りに思っているわ、と。しかし、何かを詫びるような種類の言葉は、ひと言も発しなかった。
 夫と二人だけになってから、そのあまりにも斬新なデザインで囲まれた空間の中で、木下マキアートは夫に「これからどうしようか」と語りかけた。木下マキアートらしい斬新な位置にぽっかりと開けられた楕円状のガラス窓に、きれいな満月の瞳が宿った。

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