わたり終えるか、転げ落ちるか
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2/5(日)、人文研アカデミーシンポジウム西川長夫『パリ五月革命 私論 転換点としての68年』(平凡社)刊行記念「日本から見た68年5月」を拝聴してきました。会場は400人超えの人・人・人でした。写真は会場後部に設置された、西川先生の貴重な資料を展示したパネルがズラリ。
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まずは第一部。題して「対論『私』の叛乱」。西川長夫先生は、「パリ五月革命 私論」の著者として、1968年の目撃者代表として、登壇。
パリ五月革命 私論-転換点としての68年 (平凡社新書595)パリ五月革命 私論-転換点としての68年 (平凡社新書595)
西川 長夫

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そして長崎浩先生。ご著書に「叛乱論」「政治の現象学あるいはアジテーターの遍歴史」。もはや「ほとんどひとつの『哲学』として確立した」という司会の市田先生の紹介が印象的。
新版 叛乱論叛乱論
長崎 浩

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「『六八年革命』は『私』が語り始めた最初の革命」という「はじめに」のお言葉から、「私」を切り口に始まりました。「パリ五月革命 私論」にも引用されておりました「フランスの解体?」の以下の箇所を含め、「私」「わたし」がいちばん気になりました。

 ここでは結論を出すのが目的ではなく、議長の役目は人びとにしゃべらすこと。それを聞かせることにあるらしい。「われわれ」という一人称複数形が少なくなり、「わたし」「おれ」という一人称単数を主語にしたしゃべりかたがふえてゆき、告白調が多くなった。

フランスの解体?―もうひとつの国民国家論フランスの解体?―もうひとつの国民国家論
西川 長夫

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まずは長崎先生から。

・「68年5月」。日本では全共闘運動が進んでいる時期。フランスからのニュースに耳を傾けていた。
・「敷石をまたげばそこは砂浜」という言葉も聞こえてきた。
・「パリ五月革命 私論」について。特徴的なのは、1968年パリの「ドキュメント」でありながら、「西川史」でもある。
・ただの回想録ではなく「ほろ苦さ」を含んでいる。
・68年5月は「私」の掲げた「最初の革命」。
・何かを伝達する、人を説得する方法ががらりと変わった。

それに対する西川先生の応答。「私」「わたし」への考え方の違いがいきなりあらわに。

・今日は長崎さんを初め、皆さんは当時の活動家でいらして。
・長崎さんの考える「私」は、私の考えている「私」とはだいぶ違うのではないか。
・68年には「私がなくなって、そして、私が作られる」。語り始める「私」。
・長崎さんの「私」は「アジテイター」、アジる方。私が考えるのは、アジられる方から「私」が出るということ。

長崎先生の応答です。

・ちょっと意外。「私」=(デカルトの)「近代的自我」では?
・「近代的自我」の歴史がフランスと日本と全然違うのでは?
・全共闘運動者はだらしがない。「私」の一種の歯止めのなさ。懐疑すらできない。
・否定しようとしたって、そもそも「私」なんてない。
・全共闘運動=自分(=私)探し。だが、60年代の高度成長社会の中で失効してしまう。
・回想的な「私」の振り返りの失敗。
・倫理的主体性。「私」としての「われわれ」/「われわれ」としての「私」。

「私」について議論がすれ違います。西川先生の反論、と言いますか、長崎先生の「私」観への違和感の表明は続きます。

・長崎さんは、「近代的自我」を形成する世代の人ではない。
・「デカルト」とか言われるとびっくりしちゃう。
・「国家イデオロギー」としてのデカルト、のように、「国家的な神話」の中にデカルトは現れる。
・どうも「私」観が違うのでは?

「私」のお話はやめて、1968年5月は「終わり」なのか、「始まり」なのか。ここでも意見が分かれました。時間も大分押してきて少々駆け足。長崎先生は「多くの学生がソルボンヌに終結し、加えて労働組合のストライキ…ここがピークであり、『終わり』を象徴する」とし、「学生も、労働者自身も、現実的にそれを意識するようになっていた」とのこと。対して西川先生は、「いや、そういう敗北はくりかえし起こっているので、学生はあっけに取られなかった」と続け、最後はやはり「これは始まりにすぎない」(=「『私』が語り始めた」段階にすぎない)と。

 六十八年革命論を結ぶ言葉はむずかしい。六十八年五月は素晴らしい事件であると同時におぞましい事件であった。そしてそれは何よりも未完の事件である。「これは始まりにすぎない…」という言葉にこれほどふさわしい事件は少ないだろう。だが、アルチュセールの言葉を借りれば、それがいつの日か、長い歩み(まさに日常性における長征だ)の果てに、「革命」となるか否かを決めるのは後の世代の仕事となるだろう。

パリ五月革命 私論-転換点としての68年 (平凡社新書595)パリ五月革命 私論-転換点としての68年 (平凡社新書595)
西川 長夫

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この第一部の「私」の語り方に関する、お2人の先生の意見のすれ違いについて、「アンダ-グラウンド」と「約束された場所で」の違いを思い浮かべてました。「『六八年革命』」「『私』が語り始めた」「声」のイメージとして、「アンダ-グラウンド」的な「声」を思い起こしたりしていました。「アンダ-グラウンド」的なものが、もっと上手く説明できたら良いのですが…。
アンダ-グラウンドアンダ-グラウンド
村上 春樹

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約束された場所で―underground〈2〉約束された場所で
村上 春樹

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あ、あと「文化系トークラジオLife」にも「『私』が語り始めた」感、とっても感じたりします。

第二部は別のエントリにて。
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