わたり終えるか、転げ落ちるか
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2/21(火)、北海道大学佐藤淳二先生主催のシンポジウム「啓蒙思想と戦争/平和」を拝聴してきました。15時からスタートして、20時までがっつり。「啓蒙の運命」とか、先日のルソーのイベントとかのお話と関連した形で、拝聴できるのでは、と楽しみにしていました。結果、「人間観」の捉え方の変遷として、「戦争」を軸に考えることで、非常に多くの貴重な発見がありました。半休とって行って良かった!
啓蒙の運命啓蒙の運命
富永 茂樹

by G-Tools
まずは辻部大介先生から。

・17世紀まで、習俗・道徳がひとつながりのもの。18世紀に至って、経験論の発展。
・「道徳的なもの」の対象が、人間の「集団のあり方」に。
・習俗・道徳が、法と拮抗するのではなく、法というものが必要ないかのように機能。
・個人の私的所有が、信頼されていないときにもたらすもの。
・ある習俗を、政治的主体が決定しなければならない。それはどういう決定なのか。
・ロールズの検討を。

続いては佐藤淳二先生。トクヴィルの合評会以来、お話を伺うのは2回目。

・社会の「魂」。戦士共同体との契約としての「社会契約論」。無関心が許されることのない。
・大阪市長選挙について。「決定するヒトを決定することによって決定しない」。
・アンケートとか、世論調査は、「一般意志」にはらならない。
・ギリシャ悲劇的なもの(ギリシャ的スペクタクル・ミメーシスによる模倣)。
・旧約聖書黙示録的なもの(暴力的・「この運命以外は認めない」)。
・戦争は、「所有」をめぐっての争い。近代=「所有」。
・ペルソナ(仮面):社会的・道徳的な人間/ホモ・サケル:むき出しの人間。
・ロック・ホッブス:「活性的な」人間モデル/ルソー:「休息しうる」人間モデル。
・但し、ルソーはホッブスとは部分的に共有し合うところがある。
・C.B.マックファーソンについて。
・領有できる自己。「領有が所有に変わる」=社会契約論の本体。
・社会契約をしたときに、国家が一挙にできてしまう。これがルソーのわかりにくさ。
・「徳・商業・歴史」第6章「所有の流動性と一八世紀社会学の興隆」。
・ポーコックは「徳」を強調。現代の社会思想史の中で無視できない。
・社会契約論デモクラシーについて。人民という団体が、個別の案件に関わってはいけない。
・公正的権力は、個別的関心は関わらない。
・徳がなければ腐敗する。マルチチュードのカオスとともに。

第2部は富永茂樹先生からです。「統計と衛生」論文を手がかりにお話いただきました。「全体を一目でぱっと把握する」、「タブロー」のお話が何とも印象的でした。

・「公衆衛生」について話せと言われたけれども、「戦争」と「習俗」がどうやったら結びつく…?
・「統計と衛生」という論文を書いた。(フランスの衛生について)「世話をする社会」と。
・化学・統計学・法医学を始め、これらをひとつにまとめたラボアジエ。18世紀と19世紀とを結びつける。
・共和国に知識人は要らない。パブリックとは何なのか?
・フーコー風に「ポピュラシオン」。生物学的な側面では「人類」。社会的には「空間」。
・1840年代のトクヴィルの時代の衛生学者を調べていて、「統計と衛生」を書いた。
・1806年「衛生あるいは健康を保持する技術について」「法医学あるいは公衆衛生学概論」。19世紀の公衆衛生学が始まる。
・「数字と一覧表」。公衆衛生を数字と一覧表(=一目で把握する)で把握する、それを可能にする統計学。
・コンドルセは、タブローで全体を見渡そうとした。確率論も応用する。
・コンドルセがフレデリック・リセ―に本を送る。
・18世紀と19世紀をタブローでつなぐ。「全体を一目でぱっと把握する」。
・一般に精神病患者を解放した、と言われているが、そんなことはない、とフーコーは言う。
・ベンサムをフランス語に翻訳する。タブローが建築になる(一望監視施設)。
・フレデリック・リセ―「慎重にすべてを知ること」が、王にとっていちばん重要なこと。
・「平均」という考え方。「平均人」(身長…)を人間のイメージとする。
・そういう目で(全体を見て、平均人を見て、)「戦争」を進めていく。
・習俗に関わる話に。「習俗」(論)と「空気」(論)。
・病気が感染する説。ミヤズマ説と、空気感染説。
・広くさえぎるものがないと、ミヤズマ説が入りこまないと言われている。ラントナス(医者出身のジャーナリスト)。
・革命・健康・自由がひとまとまりに。
・広い通路を確保する。清潔で明るい、健康で快適な空間には、十分な照明と十分な通路が必要。
・ラントナス「雑音が入ってはいけない」「勝手な議論は許さない」。
・雑音を排除するモデレーターが結局議論を検閲する。
・清潔で明るい、空間は、「排除」する。
・広場にポスターを貼ってはいけないか。
・国民が共同で保有するものなので、個人の意見は貼ってはいけない。
・誰のものでもなく、国民全員のものなんだ(こうして国民を排除していく)。
・パブリックがプライベートを飲み込んでいく過程とも言える
・人間も排除。パブリックのプライベート区別があいまいになる。
・フランスの国家が、「衛生学の国家」。福祉国家とは異なるが、ある意味、国民の健康を考える国家。
・公共空間で一番問題になるのは「空気の問題」「道徳の問題」が絡んだ。

続いて王寺賢太先生。これまでのお話を受けての整理プラス、先生のお話を伺っておりましたら、これまで(習俗として)生み「出されて」きた社会的空間、という考え方から、先生が最後に指摘された「政治的な行為によって、社会的空間はどうやって生み出せるか」という問いへの変換が、とても重く響きました(最後の登壇者森元先生のお話がすっぽり抜け落ちてしまったくらいに…すみません)。

・隠されたテーマ「3.11以降の自由主義批判」?
・「戦士共同体」。戦士の「生死」に参与しなければならない。
・環境管理型権力。権力は「点」でしかないのに、「一望」を保証する。
・個々の成員が、関わる、ネガとポジのように表裏一体。
・モンテスキューの場合は、ゲーム理論、すなわち、政治的な「徳」は「原理」ではない。
・ルソーは違った観点から、モンテスキューに対する批判を投げかけた。
・法と習俗の区別。それは、習俗の自律性の擁護。
・2つのモデルがモンテスキューの中にある。
・ボダン等、歴史法学の議論。「ナショナルな要求」を支える。
・習俗は、常に個別的なもの。習俗が堕落していく過程。
・戦争に対して、習俗と女の話をしたが、戦争では女に手を出してはならない。
・つまり、習俗に従わなければならない。
・モンテスキューの道徳と政治の問題、切り離しながらつなぎ合わせる。
・政治的な行為によって、社会的空間はどうやって生み出せるか。

そこに、大きな人間観・社会観の変化の鍵があるような気がします。

最後の討議では、「戦争は国家と国家との関係である。」「社会契約論は国際関係がベースに(前提に)ある」というように、抽象化された「人間観」の象徴として「国家」「国際関係」として語られるようになった点と、「パリは(伝統的に)危ない場所」で、「大砲をうちやすいように(照明)」「空気を流しやすいように(換気)」等の観点から設計され、「パリをどう統御するか、というのはテーマだった」というお話を、先日のイジス写真展の写真の数々を思い浮かべながら聞いていました。
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