わたり終えるか、転げ落ちるか
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3/14(水)、京都大学百周年時計台記念館国際交流ホールⅢにて行われました、横山俊夫教授退職記念講演会「文明学への道」を拝聴することができました。先生のご研究のキーワードとして、(とりわけ梅棹忠夫先生との違いとしての)「文明」、「安定社会」、「達老(老いることの達人)」、「嶋臺塾」等々が思い浮かびますが、それらのご研究の知見の数々をまさに体現されたような、そんな最終講義でした。前後左右、一歩も動けないほどの超満員の会場の隅っこで身を潜めながら、とても感慨深く、拝聴させていただきました。以下、特に気になった箇所のメモ。

・これから大演説でも始まるんじゃないかというような丁寧な紹介で(会場笑)。
・(壇上に)出て行きにくくなる(会場笑)。
・見渡すと懐かしいお顔ばかり。
・「文明学への道」というタイトルにしました。これには「道」、すなわち「歩み」、そして「足」で考えてきた「足学問」(×耳学問)、「足学問+共同研究」の思いも。
・文(あや)をなして明らかになる。「隔たり」を「媒介」し、「つながる」言語。それは決して“debate”ではない。
・“civilization”は誉め言葉(by 英国使節)だった。「当時のどの国も礼法が社会の一部に極在するが日本は異なるとして、“civilization”の質を高く評価した」。
・英国使節が浅草に来たときの写真。使節を見に群衆が集まるが、きちんと秩序が保たれている。例えば、うるさい子供を注意する人々によって。
・“a school of civility and good manners”「礼儀の良い学校」と評されていた。
この本は…デザインに文句をつけたらまったく…返事がなく、ようやく返事が来た、と思ったら「デザインを熱狂的に支持してくれてありがとう」。

Japan in the Victorian Mind: A Study of Stereotyped Images of a Nation, 1850-80 (St Antony's/Macmillan Series)Japan in the Victorian Mind: A Study of Stereotyped Images of a Nation, 1850-80 (St Antony's/Macmillan Series)
Toshio Yokoyama

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・1970年にインドへ。外から日本を見る。お手元のエッセイをご参照。(※タイトル「忘れものに気づいて戻った旅」という、短いながらもとても先生らしさがにじみ出ているエッセイかと思います。お気に入り。)

 やがて、日本を知りたい一念がつのり、あっさり帰国した。あれから四〇年近い。かつて日本が小規模ながら自足し、文にして明であった頃の暮らしを日本語や英語で綴ってきた。ペンをとるたびに思うのは、かの村人たちの問いかけである―ナニヲ考エテイマスカ、と。今も私の日本研究は、外国の人にも静かに語れる自国像を求める姿勢のままである。

・バブルのまっさかりに「安定期」の研究。「安定期」=「停滞」と見なされ、こんなに景気が良いのに何をやってるとバカにされた。
・手術中の外科医のやり取りのような言葉や、“debate”のような言葉ではなく、日常の言葉で語りたい。

ことばの力: あらたな文明を求めてことばの力: あらたな文明を求めて
横山 俊夫

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二十一世紀の花鳥風月―熱き風流を語る二十一世紀の花鳥風月―熱き風流を語る
横山 俊夫 松井 孝典

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貝原益軒―天地和楽の文明学 (京都大学人文科学研究所共同研究報告)貝原益軒―天地和楽の文明学 (京都大学人文科学研究所共同研究報告)
横山 俊夫

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最後に1つだけ思い出小噺。先生のご研究のキーワードで、とりわけ当時気になっていたのは「達老(老いることの達人)」にまつわる様々なテクスト。先生に「私も達老になりたいのですが…」と相談したところ、「うむ、君には結構その素質があるね!」と言われ、一瞬喜んだのですが、「ただし」と少し間を置きまして、「4回勘当されるくらいの経験がないとダメだね」と。それ以来、「4回勘当されるくらいの経験」ってどういうこと?そもそもなんで「4回」?を問い続ける日々です。先生、答えがわかったら、いつかお伝えに伺います。それまでどうぞ、お元気で。
<関連>
フォーラム新・地球学の世紀 by 横山俊夫:2011年4月号 WEDGE(ウェッジ)

自説をそれとなく周囲に伝え、そのうちの誰かが同説を自論として語るようにしむけてホホウと耳を傾ける品。他人がだましに来れば、嘘と知りつつナルホドとうなずき、だましおおせたと得意気に去る人を見送る品。さらには、何事を聞いても疑わずに真実に受けとめる「大秀品」。社殿のご心境のごとく、向き合う者は慎む。

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