わたり終えるか、転げ落ちるか
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■先月の4/18(水)EXTREME→4/20(金)陰陽座→4/23(月)Dream Theaterと怒涛のHR/HMウィーク、一公演たりとも観れなかったですがorz、陰陽座とDTはDVD出るっぽいから安心♪陰陽座は千秋楽(東京NHKホール)、DTはアメリカのどっかでの公演を収録予定とのこと。


■「後悔と近代世界」という富永茂樹先生の論文(作田啓一「自尊と懐疑」に収録)を拝読していて特に気になった箇所。近代社会に特徴的な「失敗症候群表向きの理由もなく強迫的に失敗を繰り返すタイプの行動様式)」の背景。

 世界の正当化、生に対する意味の付与は、集団から明確に区別しうるような個人の概念が存在しない場合、あるいは個人が所属集団に融合し、完全に一体化しているときには、比較的容易に実現する。人間の経験する個々の不幸は、個人を超越した集団の歴史の一部として理解され、それ以上には拡大されないからである。この意味では、たとえさまざまな中間集団が個人にたいして強い包括性を保っていた中世の社会では、世界の正当化の装置がゆらぐことは少なかった。ところが近代社会は、まず何よりも中間集団の衰退、集団の拘束からの個人の解放ということでもって特徴づけられる。社会的現実は多元化し、また断片化し、そしてその分正当化の装置の作用は弱まってゆく。近代社会は、他の社会に比べると、安定した正当化の装置を欠いており、そこでは秩序とのあいだにズレのない行動様式を見出すことが徐々に困難になってくるであろう。失敗症候群の増殖や後悔の激化も、こうした近代社会に特有の、正当化装置の解体、ないし衰弱といった事情と、けっして無関係ではありえない。

そのような近代社会を生きるヒントとして参照されていた「The Assistant」と「Seize the Day」。読んでみたい。Kindle版ないのかなぁ…と思ったら「Seize the Day」あった!
The AssistantThe Assistant
Bernard Malamud Jonathan Rosen

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Seize the DaySeize the Day
Saul Bellow Grover Gardner

by G-Tools
合わせて、4月のシンポジウム「啓蒙思想と戦争/平和」の関連で紹介されていた「風土、習俗、一般精神」(樋口謹一「モンテスキュー研究―京都大学人文科学研究所報告」に収録)も拝読。「安定した正当化の装置」としての「法と習俗」の「揺らぎ」。

 法と習俗と、そのいずれの側に精神的原因としての大きな力を認めるのか―このことは、しかし、さほど重要な問題ではない。むしろ、どちらの場合にも議論の対象になっているのが、社会における根本的な規範であるという点にこそ注目しなければならないであろう。そして十八世紀の後半になって、法であれ習俗であれ、このような社会の表層ではなく内部の規範に関心が集まってくる傾向の背後には、おそらく、自分たちの社会の規範が何らかのかたちで揺らぎはじめ、その力を充分に発揮していないという彼らの認識をかすかながら読みとることもできよう。

この箇所を受けてふと思い出した懐かしい「権力の予期理論」の序章。むむぅ。

 高度に発達した資本制において人びとはシステム内に馴致するのに固有の超越的審級が必要だ、とするのはしばしば錯覚である。この種の錯覚は、ベルを初めとして現在さまざまな社会科学者の採用する比較社会学的・歴史社会学的思考を誘惑する。現代社会における人間行為を単独で取り出してきて以前の社会ないし異文化社会におけるそれと比較してみると、「いかにもありそうもないこと」が生じていると見える。その「ありそうもなさ」を人間性や身体の固有の性能ないしそれを効果する超越的審級に帰属させたくなる誘惑!

権力の予期理論―了解を媒介にした作動形式権力の予期理論―了解を媒介にした作動形式
宮台 真司

by G-Tools

■さて来月はDream Theaterセッション!今回はこの曲にチャレンジします♪できるかな?
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