わたり終えるか、転げ落ちるか
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■先日は慣れない幹事業をば…職場の暑気払い飲み会です。何と司会進行役の方が当日ドタ欠席!ということで急遽私めがその役を。はい、乗り切りましたとも、酒の力を借りて。そして何より、幹事仲間の皆さまの力を借りてっ!
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<関連>
【清水家Nagomi】(←トップページが上の写真と同じ過ぎて笑いました)

(酒の力を借りすぎて)帰りは千鳥足だったみたいで、こんな写真がなぜか。
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■飲み会つながりでふと思い出したのが、先日の「ぜいたくなひととき」な夜会で、「思想 2012年 02月号」の大澤真幸さんの「思想のことば」を読んだときにひっかかっていた、「権威に拘束された探究」の方が、「権威に拘束され」ない自由な「探究」に勝ってしまうということについて、いちばん気になっていた先生のお席の近くに座れたというチャンス!実は以前、先生のとある発表を拝聴しに入った際に、コメンテーターの先生から、「これだけ○○学者としての才能があるのだから、もっと「権威に拘束され」ない自由な「探究」をしてはどうか」「○○学の偉大な先人たちを否定して乗り越えるような研究(=「権威に拘束され」ない自由な「探究」)をしなきゃ」、というようなコメント(←大澤さんの言葉に合わせた形で脚色してます)が(そこそこにきつめの口調で)出ておりました。そのときにふと頭を過ぎったのが以下の大澤真幸さんの指摘だったわけで。

…ところが、啓蒙の時代の後でも、「権威は思考の自由を妨げる」という命題は、必ずしも妥当しないのだ。

―中略―
 こうしたことは、啓蒙主義の観点からするとたいへんよろしくない状況である。マルクスのテクストに縛られずに、自由に資本主義のメカニズムを分析すべきである。フロイトのテクストから自由に、人間の心理の様態を実証的に研究すべきである。ソシュールの講義に執着せずに、虚心に言語の実相を調べるべきである。これが啓蒙主義の推奨することであるし、実際に、そのような研究もたくさんなされてきた。ところが、である、問題はこの先だ。啓蒙主義からするとまったく誤算と言わざるをえないことに、こうした自由なはずの探究は、必ずしも、深く実り豊かな結果をもたらさないのだ。むしろ、逆に、しばしば、自由なはずの研究は、権威に拘束された探究よりもはるかに浅薄な命題しか導きだせない。

思想 2012年 02月号 [雑誌]思想の不法侵入者:思想 2012年 02月号 [雑誌]
大澤 真幸

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思い切って聞いてみました…「どうして(とりわけ昨今)「権威に拘束された探究」の方が、「権威に拘束され」ない自由な「探究」より優れてしまうのでしょうか?」…フフフっと鼻で笑われたあと、先生にいただいたお言葉と来たら…。

…あぁ、何て私はちっぽけで浅はかなんだ…orz
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