わたり終えるか、転げ落ちるか
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5/17(木)-6/4(木)京大人文研連続セミナー「20世紀前半東アジアにおける人の移動」への参加記録をすっかり忘れていました。全5回のセミナーで、最終回のみ断腸の思いで不参加(して職場飲み会へ…)。第3回で「私この年にしてようやく(朝鮮人)差別問題の構造的なあれこれがわかりはじめた」とか(いきがって)つぶやいておりますけれども、今回の連続セミナーの収穫はもうそれに尽きます(ささやかな気づきではありますが)。秋の人文研連続セミナーの予習で読ませていただいた稲葉先生の下記の分類も関連する気がしました。この「経済的な要求」による「移動」っていうのがなかなか厄介。
中央アジアの歴史・社会・文化 (放送大学教材)シルクロードと中央アジア:中央アジアの歴史・社会・文化 (放送大学教材)
稲葉 穣 間野 英二

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 精神的要因による移動とは、例えば宗教的情熱によるものであり、具体的には巡礼行為などがこれにあたる。―中略―
 次に自然的要因とは、例えば気候変動などによって、もともとの居住地に住み続けることが不可能になり、移動を余儀なくされるようなケースである。―中略―
 一方、社会的要因は極めて多様であり、その内容を簡単には説明できないのだが、例えば経済的な要求に応える形で行われるもの、要するに商業交易活動などはこれにあたるだろうし、本来所属していた社会に生じた何らかの変革によって地位を剥奪され、迫害を受けた人々の移動もこれに含めてよいだろう。

そしてだいぶ後で聞いた「Life×フットボールサミット〜日韓戦とナショナリズム」でお話されていた以下の指摘もとてもヒントになりました。「移動する人」「移動する人を迎える人」のメンタリティとして。「私家版・ユダヤ文化論」も読み返さなきゃ、と思いました。

たぶん日本人って、ホントに韓国に対していつまでも何か気持ち的な余裕を持っておきたいんじゃないかな、抜かれちゃったり、そのライバルとしてホントに何て言うんですか、必死こいて何か争いたくない、みたいなのがあって、気持ち的な余裕を見せたいがために、韓国応援する、大人の対応しようよ、みたいなメンタリティーってちょっとあんじゃないかな。

私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)
内田 樹

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