わたり終えるか、転げ落ちるか
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
■10/6(土)、国立国会図書館関西館に初めてお邪魔してきました。目的は国立国会図書館関西館の10周年イベントに参加するため。初めて行く場所はいつも道に迷ってしまうのですが、↓のような感じでおろおろしながらも何とか到着。バス降りてすぐきれいな秋空が!ステキな立地でした。Owly Images

Owly Images

■まずは10周年記念展示「関西の図書館100年、関西館の10年」をじっくりと。当日は@negadaikonさんによるフロアレクチャー付きで、40分で「関西の図書館100年、関西館の10年」を駆け抜けました。初期の近代公共図書館、「集書院」の写真から始まり、明治、大正、そして戦後の「中小レポート」「市民の図書館」、そして電子図書館構想…のお話へと続いていき、図書館史=中央から地域、家庭、そして個人へと図書館の知が行き渡っていくインフラが整備されていく歴史、が丁寧に&見事にまとまった素晴らしい展示&レクチャーでした。展示&レクチャーを一通り堪能したあとは、関西館が(建物として)完成するまでの過程を定点カメラで経年変化を追ったスライドを。序盤じぃっとスライドを見ていたものの、なかなか変化に気付けず。あれ?っと思っていたら一緒に見ていた方に「どんどん地下に掘っていっていますねー」と言われて初めて気付きました。ああいう映像って上にどんどん積み重なるイメージがあったのでつい…(^^;

■「市民の図書館」というワードを久しぶりに(司書課程以来…?)聞いたからか、お話を聞きながらふと「理性の使用―ひとはいかにして市民となるのか」の内容を思い起こしました。図書館の発展、果たしてそれは(能動的に)「理性」を「使用」する「市民」なるものの形成につながってきたのだろうか、云々(すぐ脱線してしまう悪い癖が…)。
理性の使用―ひとはいかにして市民となるのか理性の使用―ひとはいかにして市民となるのか
富永 茂樹

by G-Tools

 近代の教育は読書を中心にしたものでしかありえない。この場合古代では演説と情念とが結びついていたのにたいして、近代において書物は理性と深い関係を持つことになる。古代・演説・情念/近代・書物・理性という図式がコンドルセの中で成立しているのだ。

「話し言葉」(古代)は「ひとの情念に訴えかけることを目的」「「観念の空白と感情の不在を隠蔽する技術」にほかならない」として否定し、「書物」(近代)(=書き言葉)は「理性と深い関係を持つ」として礼賛したコンドルセの見方を、それはまるで「読む機械」「冷静・冷淡・冷酷」として批判した富永先生。10周年記念展示の中にビブリオバトルのお話が出ておりましたが、コンドルセが「話し言葉」に感じる危惧、富永先生が「書き言葉」に感じる危惧、を同時に乗り越える試みとしてビブリオバトルは登場したのではないか…(それとも「古代・演説・情念」へ逆戻りか…)等々。

■…そんないろいろと学ぶだけでなく、いろいろと考えるきっかけも与えてくれる10周年記念展示「関西の図書館100年、関西館の10年」は今月末まで!見なきゃ絶対損です!
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://esk.blog9.fc2.com/tb.php/1088-dd5cc410
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。