わたり終えるか、転げ落ちるか
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■同日続いて、山室信一氏による10周年記念講演会「私の図書館巡歴と関西館-史料に導かれた連鎖視点への歩み」を拝聴。図書館のヘビーユーザーであります大学の先生が図書館と研究史とを絡めての講演(アイデアと人選の素晴らしさにただただ脱帽)。先生のご講演を拝聴するのは4度目くらいになると思うのですが、いつもハッとさせられるのが「これはまったく知りませんでした」「誤っておりました」のサラっと感。自論の「正しさ」を裏付けるために資料を集めるタイプの研究者とは正反対、まさに(自論の正しさ、とかは関係なく)ただただ「真理」を追いかける研究スタイル。宮武外骨、瀬木博尚、狩野亭吉等々にまつわる「本を集める執念」話がいくつか紹介されましたが、山室先生の研究史そのものが「真理を追いかける執念」に満ち満ちていたことに、圧倒された方は多かったのではないでしょうか。以下、私が記録できた限りでのメモ。
<関連>
山室信一氏による関西館10周年記念講演会<報告> | カレントアウェアネス・ポータル

・利用させてもらう者の一人として「お礼」の気持ちで講演を引き受けた。
・私が図書館をどう利用してきたか、図書館のおもしろさを伝えたい。
・国会図書館との出会い。大学を出て衆議院法制局に。国会図書館はその名の通り国会の立法を補佐する。「法制官僚の時代―国家の設計と知の歴程」参照。
・国会別館4階には最新の雑誌が。若いころの中曽根元首相が活用していたとの話も。
・井上毅。明治憲法の骨子をほとんど作った最も優秀な頭脳。優れた法律をたくさん作った。「近代日本のグランドデザイナー」と呼ばれる。この人について強く知りたい、と思った。
・田中角栄ロッキード事件。政治献金規制法に関わった。
・真理が我らを自由にする。「真理が我らを自由にする」VS「真理は我らを自由にする」。
・戦前の状況=真理を知らなかったから、政治に翻弄された。戦争に負けた。だから国会図書館ができた。
・明治文庫。宮武外骨と瀬木博尚は獄中で知り合う(言論統制)。
・独・英・仏で学んだものを日本に移し替える。
・コーヒーハウス/パブでの討論。インビジブルカレッジ。これをビジブルカレッジにしたい。
・本や新聞ばかり読んでいると息が詰まるので。絵葉書のコレクションを見るのがシアワセだった。
・((ミステリーの常道)指紋調査を最初に取り入れた)快楽亭ブラック等、口承演芸にも関心。「近代日本の知と政治―井上毅から大衆演芸まで」参照。
・狩野文庫。狩野亭吉は、理学部から哲学科へ。真理の迂回戦略。内藤湖南、幸田露伴、学歴がない人物を京大へ招く。本を集める執念。
・欧→日→中・韓→ベトナム…翻訳に次ぐ翻訳。思想の連鎖。
・ハーバード燕京図書室。ワイドナー図書館。一度入ると出られなくなるほど広い!迷路!
・「東アジア」という視点はハーバードで着想を得る。
・日本の近代観=「日本は蘭学洋楽を元にして近代を作った」という認識は誤りで、「日本は(中国を経由・連鎖した)蘭学洋楽を元にして近代を作った」という認識が正しい(「思想課題としてのアジア」の表紙参照)。

思想課題としてのアジア―基軸・連鎖・投企思想課題としてのアジア―基軸・連鎖・投企
山室 信一

by G-Tools
・集める・残す、そして新たな「真理」を創り出す。思想を真理に近づける闘い。直耕して人は初めて自由になる。
・三つのカン。関心・感動・感謝。
・本探しのこれまでを図書館巡歴という形で語ってきたが、今の(いろいろと整備された)世に生きていたら、もう少しマシな仕事ができていたなかな…という思いも。


■展示と講演に大満足して帰り道。ふと思い起こした「憲法9条の思想水脈」のあとがきの一節。「非戦思想」「非戦」を「図書館」に置き換えてみたり。帰りも秋空がきれいでした。
憲法9条の思想水脈 (朝日選書823)憲法9条の思想水脈 (朝日選書823)
山室 信一

by G-Tools

 もちろん、結局、非戦思想とその制度化がいかに脆かったかを証明しただけではないのか、という反論も可能でしょう。確かにそうであったかとも思えます。しかしだからこそ、重い何トンもある鉄扉を小指一本で押し開けていくような営みは貴重なのだという気もします。それはおそらく自分で動いたかどうかさえ確認できないような努力でしょう。あるいは、それは蝋燭の芯に種火を渡していくようなものなのかもしれません。その火は風にゆられて、今にも消えそうです。しかし、消えたと思った灯が次の瞬間、ゆらりと灯火を浮かび上がらせる、そんな手渡しの作業によって非戦という思想は今につながってきたのではないでしょうか。ただ、歴史を顧みるかぎり、強靭な意志と強い権力をもった人によって非戦の時代がもたらされるとは私には想像できません。そうした強さは必ずや、その威力を誇示することにしか向かわないと思えるからです。少なくとも、非戦思想が他者を力によって屈服させようとすることは背理ですし、それゆえに非戦思想は脆く非力であるともいえます。しかし、それゆえにこそ、「つながり、持続する」ことの必要性を非戦思想の歴史は教えてくれるのではないでしょうか。

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