わたり終えるか、転げ落ちるか
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4/24(水)に行われました、公開講演会「大学のディスクールと分析家のディスクール 精神分析家の育成からみた両者の区別の意義とねらい フランスの視点」@京大人文研に行ってきました。昨年にもありました公開講演会「ジャック・ラカンと精神分析家の育成の現在」の続編、という形でしょうか。「科学のディスクール(主体削除)のイデオロギーの前で、精神分析は時代遅れに見える」という不利な状況の中、「無意識の知」に唯一アクセスできる「精神分析」がいかに抗えるか、という内容で、大変貴重なお話を拝聴できたと思います。精神分析のみならず、人文知そのものの危機の話として、聞かせていただきました。ラカンに関する専門的な用語については下記を参照しました。
生き延びるためのラカン (木星叢書)生き延びるためのラカン (木星叢書)
斎藤 環

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知の教科書 フロイト=ラカン (講談社選書メチエ)知の教科書 フロイト=ラカン (講談社選書メチエ)
新宮 一成 立木 康介

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①「古代の知・科学の知」

・フーコー「主体の解釈学」。知は主体を変形し、倫理と結びついていた。

ミシェル・フーコー講義集成〈11〉主体の解釈学 (コレージュ・ド・フランス講義1981-82)ミシェル・フーコー講義集成〈11〉主体の解釈学 (コレージュ・ド・フランス講義1981-82)
ミシェル・フーコー 廣瀬 浩司 原 和之 Michel Foucault

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・デカルト的主体によって、「自己認識」が「自己配慮」にとって代わった。
・近代の主体=知識を得ること、自己を知ることを欲すること。
・すなわち、私がそれであると信じるものと、実際にそれであることとの距離を縮めることである。
無意識に到達するには(欲望について何も知りたくないという)抑圧を拒絶。無意識の開陳に接近。
・科学以前の世界では、知識は倫理に従属する。
・すなわち、自分のための知識の獲得より、自分の行動が道徳的な理想に合致していることが重要。
・ラカンは「(無意識の)知」と「知識」とを区別。
・「無意識の知」は、反省的知識とは異質。自我の手に入ることはない。
・一方で、「知識」は現実に捕らわれている主体のナルシシズムに引っかかる。
・抑圧=知ることの拒絶=私たちを無能状態に陥れる。自分の欲望について、私たちは何も知りたくない。
無意識の開陳にたどりつくためには、精神分析が必要。
・つまり、「知識」は「表面」に属する。
・最も真剣な神話「仏教」。最高の知の形態「学知ある無知」(クザーヌス)。
・ラカンは(哲学の、西洋的な知の)「本質主義」と「存在論への問い」を批判。
・哲学的認識の作業は「自我の幻」にのみ関わっている。
・近代的知=「主体を削除するイデオロギー」。「主体の欲望の原因となるもの」を排除。
・科学は「平均的個人に当てはまる法」を確立する。平均的個人=精神分析主体の裏面。
・精神分析の主体=肉体と欲望と享楽と身体から成る、特異な主体。
・精神分析の問い、現実界にアクセスすること。真理=シニフィアン的分節。無意識の現実界=到達不能。

②「分析家・精神分析の知」。

・構造主義では、シニフィアン=無意識(を構成するもの)の存在そのもの、と考える。
・無意識とは「己を知らぬ知」「シニフィアンそのものによって支えられる知」。
・無意識の現れ:言い間違え。症状。しくじり行為。夢。
・無意識の形成物が、思考に紛れ込んだ不純物ではなく、無意識が原因となって生じたもの。
・無意識の法則=言語の法則。「メタファー」「メトニミー」。
無意識は時間を知らない。共時性。
・「知とはまさしく、ある理性的関係において、ひとつのシニフィアンを、もうひとつ別のシニフィアンに結びつける何かのことである。」
・無意識の構造化があるとすれば、形式化(伝達化)可能。大学という場で私たち(分析家)が伝達しているもの。
・無意識を発見する一方でフロイトは、失われた対象や原抑圧、夢のコロフォンを発見。これは解読に抵抗。
最も大きな欲望の対象であるにもかかわらず、その観念が欠けている何か=対象a。知られざる知、不可知。構造上穴の空いた知。
・この点が「精神分析の知」と「科学の知」との(根本的な)違い。
・科学は「現実界の不可能」を措定しない。現実界と象徴界との間に連続性が存在するかのように振る舞う。
・論理学は宇宙全体を覆い尽くすことができない(すべてのカタログを掲載するカタログ、というパラドクス。ゲーデルとその不完全性定理。)
症状は主体が言語によって(大文字の他者によって)ヴァーチャル化するのを食い止める。


③分析主体の知・分析家のディスクール

無意識の知は、自らの治療からしか学べない。
・治療の中で到来する知、抑圧された知。
・分析家は転移の中で分析主体の対象aを体現しなければならない。そのためには自らの無意識とうまくつきあい、能動的にならなければならない。
・この知は移ろいやすく、あっという間に消えてしまう。
・さまざまな主体が精神分析に出会うことができるかどうかについて、大学人には責任がある。


④フランスの大学と社会的領域における精神分析

・知の抑圧が暴力的に行われたケース「魔女狩り」。
症状を受け入れることが可能な唯一の存在としての精神分析。
・科学のディスクールは分析家のディスクールを死なせてしまうのか。今日のヨーロッパで問われている。
・脳やニューロンが、思考や精神に取って代わる。思考、精神、知性、は科学的還元主義が押しのけたもの。
資本主義が市場に並べる多様な対象から得られる享楽、失われる欲望。
・科学のディスクール(主体削除)のイデオロギーの前で、精神分析は時代遅れに見える。
・行動認知主義的オリエンテーションによって、精神分析は追いやられている。
・一部の国会議員たちが、自閉症児童への精神分析的アプローチを禁止し、行動認知主義的方法のみを用いることを求める行動を。
・今日、科学主義的イデオロギーが目指しているのは、精神分析=非科学的とし、大学から一掃すること。
・精神分析は大学においてもはや存在しなくなる危険に晒されている。
・もう一つの危険として、精神分析の心理学化。
精神分析の心理学化=シニフィアンによって主体が完全に規定される。
・臨床場面で浮かび上がってくるものを前にして、主体はすでにそこにある知に頼って身を守ろうとする。この既存の知は、他者のことばのなかで告げられていることに対して主体の耳をふさぐ。

それにしても、前回のエントリの内容も含めて、「平均的個人に当てはまる法」「行動認知主義的方法」への抗いの手段としての「現代思想」と「精神分析」に、私は大いに期待しています!
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