わたり終えるか、転げ落ちるか
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11/15(金)、「第14回 教育カフェ・マラソン」参加記録です。今回の話題提供は、田辺克之さん(神戸フリースクール)。帽子がとてもよくお似合いで、その帽子をかぶるようになったきっかけは「山登り」からというお話から始まりました。とにかく実際に見て聞いて触って、何かを発見することが楽しくて仕方ない、といった印象を受けました。

もともと塾だった神戸フリースクールは、「朝も(塾を)開けてほしいとの要望」があって(高等部を切り捨てて)スタートしたとのことでした。そういう要望も含め、「駆け込み寺」な感じが強かったフリースクール、いじめの悩み相談も多かったそう。ある女の子からいじめがひどいから訴えてほしいと頼まれ、「それは親に頼みなさい」と突き放したところ、「大人やろ!」と言われ、その後、人権擁護委員会に訴えたとのこと。田辺さんが、フリースクールに来る子どもたち皆の「親」になってやろう、と決意したきっかけのひとつだったのでは、と個人的に思いました。その後も数々の裁判のお話が続きました。田辺さんが教師、校長、教育委員会、常に「権威」と闘ってきたエピソードが惜しみなく語られました。

もともと、例えば「学校が嫌だったら、畑手伝うか?」といったように、学校以外の多様な価値観が、子どもたちに様々な「逃げ道」を与えてくれていたはずなのに、近頃は皆(年寄りも含めて)学校的な言葉の代弁者みたいになりつつある、「地域が学校化している」というご指摘が大変印象的でした。学校的な価値観が支配的になればなるほど、「風当たり」はどんどん強くなるけれども、そんなのにめげない「はみ出し者」の流儀、のようなものが、今回の田辺さんのお話の核にあったのではないか、と思いました。「休んでもいいから、学校で死なんとってね」というお言葉で締められたお話、その流れで熟議のテーマは「どうしたら、いじめ自殺がなくなるか」。ヘビーです。今回びっくりしたことに、ファシリテーターのご指名をいただきました。

いじめられる側が陥る「もうダメだ(死のう)」という視野狭窄、これをどう解除するか(田辺さんの言葉で言えば、どう「はみ出す」か、どう「逃げる」か)がカギになるような気がして、その線で話を進めてみることにしました。「海外に出てみる」「人に相談する」、いろいろな方法が出ましたが、それらすべて、例えば親の愛情だとか、友だちの思いやりとか、何らかの下地と言いますか、「(経済的な、人脈的な)余裕」(「第1回 教育カフェ・マラソン」のゲスト湯浅 誠さんの言葉を借りれば「溜め」)、そういうものがないと厳しいのではとの指摘がありました。それ(=「溜め」や「余裕」)がない状態で、どうやってはみ出したり、逃げたりできるでしょうか。実際にいじめにあった/いじめた過去、いじめにあった子の親のお気持ち、貴重な個人談もたくさん聞くことができ、何とか「もうダメだ(死のう)」から、「こんなのぜんぜん大したことじゃない!世界は広い!」と「はみ出せる」ようになる知恵を絞りましたが、やはり今回も時間切れ(でもこの熟議の「時間切れ感」「時間が足りない感」、とっても好きです!)。
4004311241反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)
湯浅 誠
岩波書店 2008-04-22

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(死ぬことは何としても避けなければいけないが)「もうダメだ」と視野が狭くなっている状態も、葛藤しているという意味において、人間の成長に欠かせないという意見もあり、ただ視野狭窄を解除、の方向で話を進めようとしていた私にとって、とても貴重な気づきをくれました。いつも本当に、ありがたいです。

<参考>
第14回教育カフェマラソン 話題提供者 田辺克之さん
箕面こどもの森学園
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