わたり終えるか、転げ落ちるか
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そうでしたか。「原理主義的確信」は健康にも害でしたか。
健康って何?;内田樹の研究室

 よく知られた事実に「健康法の唱道者は早死にする」というものがある。
 食べ物や体操のようなフィジカルな営みに特化した健康法はしばしばメンタルストレスを増大させるからである。
 そうなのである。
 経験的に言って、健康法を律儀に実践している人間は必ずしも機嫌のよい人ではない。
 というか非常にしばしば彼らは不機嫌な人である。
 理由は簡単。
 「世間の人々が自分と同じように健康によいとわかっている生き方を採用しないこと」がどうしてもうまく受け容れられないからである
 どうして、「あいつら」は平気で命を縮めるような生き方をしていられるのか。
 その理由として、彼らは「世間のおおかたの人間は途方もなく愚鈍であるから」という説明しか思いつかない(それが彼らの教化的情熱にエネルギーを備給している)
 これはたしかに一面では真実を言い当てている。
 だが、「世間のおおかたの人間は途方もなく愚鈍であり、私は例外的に賢明な少数のうちの一人である」というマインドセットは人間をあまり社交的にはしない
 周囲の人間の生活習慣の乱れに対する辛辣な批判と、おのれの実践している健康法に対する原理主義的確信は、彼らをしだいに社会的孤立へ追いやる
 ロゼトの事例(注)が教えてくれるは、たとえジャンクフードを食い、煙草を吸い、酒を飲んでも、「周囲からの支援と尊敬」のうちにいれば、人間はあまり病気にならないということである。
 逆から言えば、「周囲からの支援と尊敬」が欠如した状態に置かれると、どれほど生理学的・生化学的に健康な生き方をしていても、それはあまり人間の生命力を高める役には立たないということである

やはり健康面においても、「どうです、ここは一つナカとって…」と行きたいところですね(^^;。

 私がこの本の中でやっていることは、「そちらにはそちらの言い分があり、こちらにはこちらの言い分がある。どうです、ここは一つナカとって…」という、ふつうの組織内人間が日々行っている調整術に類したものである。-中略-「アキレスと亀」ではないが、無限に「ナカを取っている」限り、-中略-どこかにブレークスルーのチャンスはある、と私は信じている

ためらいの倫理学―戦争・性・物語ためらいの倫理学―戦争・性・物語
内田 樹

by G-Tools

(注)ロゼトの事例;「アメリカのペンシルバニア州のロゼトはイタリア移民が建設した街で、別に他の街とどこがどう違うわけでもないが、1950年代、心臓病による住民の死亡率が周囲の街の半分ほどだった(『縦並び社会・8』、毎日新聞6月23日朝刊)。興味を持った医学者たちが疫学的な調査を行ったが、周辺の住民との間に差異は認められなかった。食生活も喫煙率も同じなのに、なぜかロゼトの住民は心臓病になる確率が有意に低い。調査チームは結局、その理由を『住民の連帯感が強い』ということ以外に見いだせなかった。」とのこと。
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