わたり終えるか、転げ落ちるか
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「お 俺はただの受信機みたいなモンなんです か 勝手にまわりから音が入ってきて 俺はそれを なんてか自然なカタチに並べ換えてるだけで……とりあえず今はその作業に没頭できれば満足で」

「だとしたらお前はアレだなッ マッシーンだな?」

「や先生ッ 並べ換える作業に個性がでるんですッ それはきっと音楽だけの話じゃなくって 映画だってスポーツだってそれが創造力で」

少年少女 (3巻)第十五話「ドレミファソラシド レミ ソラミ」;少年少女 (3巻)
福島 聡

by G-Tools

竹善さんによると、過去の偉大なクリエイター達は自分を「ただの受信機」「マッシーン」であることを(とても嬉しそうに)認めていて、そして「ただの受信機」「マッシーン」であり続けることを「『自分のスタイル』という言葉に酔い始めて守りに入ることで」やめてしまったとき、クリエイターは自分を「器以下にしていってしまう」、と。

DONALD FAGEN - PLAYING, WRITING & ARRANGING;竹善のブログ「おくらの軍艦巻き」

 オリジナルがゼロから決して生まれた試しは、どんなクラシックの巨匠ですらありえない(ある!という人はドレミファソラシド音階を使っている段階で矛盾があることに気付かない)と思うという話は機会あるたびに触れてまいりましたが、なぜか人はある段階から「自分のスタイル」という言葉に酔い始めて守りに入ることで実は、スタイルを維持するどころか自分を縮小していってしまう場合が多い。 また、たとえ百歩譲って維持できていたとしても、時代は流水のように一瞬もとどまることはないので、相対的に後退になっていくのである。

 人間、どんなに頑張っても自分の器以上のものはできないのであるが(もちろん、成長によって器の大きさは限りなく広がり得ることは言うまでもないが)、偏狭な守りは器以下にしていってしまうものではないだろか

Donald Fagen: Concepts for Jazz Rock PianoDonald Fagen: Concepts for Jazz Rock Piano

by G-Tools

つまりクリエイターが全精力を注ぐべきは何よりも、自分の受信機の「アンテナ磨き」&「チャンネル増やし」ということになるのではないか…とふと思った、「ブログの更新頻度も下がっていく」と自分で書いてしまうと無性に更新したくなるあまのじゃくな啓介なのでした(←「きょうのわんこ」風)。
コメント
この記事へのコメント
 「音楽はそこにある。私は、受け止めるだけだ」といったのは、ボブ・ディランだったか。好きな言葉です。

 ジミ・ヘンドリックスは、「自分の頭の中にあるものを、外に出さないと気が狂う」と言ってました。言っていることは、ボブと同じような気がします。

 マイルス・デイヴィスは、バラードを一曲演奏するごとに、ぐったりして椅子に座りこんでいたそうです。「受信機」であることを知り尽くしていた人かもしれませんね。
2007/02/10(土) 23:43 | URL | BONZO #5zTA/0KY[ 編集]
うーむものすごい三人が並んでおります…(- -;。いやそれにしてもつくづく、発信っていうのは「受信」ありきなんだなぁと思います。中でもマイルスのエピソード(=「ぐったり」)はスゴイですね。頭の中にある膨大なソロを、ものすごい勢いで検索しながら演奏した結果、という感じでしょうか。

受信と言えばBONZOさんの受信もいつもスゴイなぁと思います。先日の日記も「キング・クリムゾン」「大貫妙子」「ブラームス」…等々が一緒に並んでいるなんて(^^;。
2007/02/12(月) 21:11 | URL | 啓介 #6OcbfI92[ 編集]
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