わたり終えるか、転げ落ちるか
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「世間」の問題点というのは「世間」の下した判断がかなり重大なものでも、その帰結に責任を取る人がいないということだと思うんです誰もその決定に責任を取る人間がいないにもかかわらず「そう決まっているから」という言い方で拘束される。それがぼくは大嫌いなんです。ルールやプリンシプルというのは、「オレが決めたのだから、その結果についてはオレが責任を持つ」という人がいてはじめて人間的なものになるわけで

逆立ち日本論逆立ち日本論
養老 孟司 内田 樹

by G-Tools

Who is to blame?;内田樹の研究室

何もないところにゴミを捨てる根性はない。
でも、一つでもゴミが落ちていれば、ほっとして捨てる。
公共の場所にゴミをすてることがシステムを「汚す」ネガティヴな行為であることはわかっている。
けれども、自分より先にそれをした誰かがいた場合には、その誰かに「トラブルの起源」を先送りすることができる「私が来るより前から『こんなふう』だったんです。私はトラブルの起源ではありません」というエクスキュースが通るとわかると、どんなひどいことでもできる
それが私たち日本人である
最初の空き缶をとおりがかりの誰かが拾えば、それでゴミの山の出現は阻止できたのである。
だが、「なんで、オレがどこの誰だかわからないやつの捨てたこきたねえ空き缶を持ち返らなきゃいけないんだよ!」と怒気をあらわにすることが「合理的」であるという判断にほとんどの人が同意するがゆえに、「一個の空き缶」で済んだものがしばしば「ゴミの山」を結果するのである
社保庁でも事態は同じであったろうと思う。
-中略-
「誰の責任だ」という言葉を慎み、「私がやっておきます」という言葉を肩肘張らずに口にできるような大人たちをひとりずつ増やす以外に日本を救う方途はないと私は思う
前途遼遠だが、それしか方法はない。

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