わたり終えるか、転げ落ちるか
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あんなに楽しみにして買ったものの諸事情で(涙)毎日少ーしずつしか読み進められなかったのですが、この土日でようやく…!「大衆教育社会のゆくえ」以降-10年後のリプライ」の中での「社会的再帰性」(ギデンズ)に関する↓の記述を読んでいたらふと、

 つまり、実証研究知として生み出される「事実」の意味も、規範的判断の基準も、社会的再帰性の高まる社会においては、固定的なものではなく、相互関連的であり、しかも可変的になるということだ
 そうだとすれば、規範的判断の「正しさ」も、実証研究が提示する「事実」の「正しさ」も、絶対的なものとしては措定できないことになる。いずれも、社会的再帰性のサイクルの中で、社会的に構成されたものだ、というところから出発せざるを得ない。言い方を変えれば、「正しさ」への信頼=信憑が問題となるのである。研究手続きの厳密さや倫理性を保障する「学問」という制度が機能しているかどうかも、この問題とかかわってくる。その意味では、実証研究知の「正しさ」のチェック機能を、学問共同体が果たすことが、以前にもまして重要になってくるのである
 このようにみると、わずか10年間で、教育研究をめぐる状況が大きく変わってきたことに気づく。右か左かのイデオロギー対立の時代にかわって、「正しさ」の信憑をめぐる競争の時代が到来した。「事実」の持つ訴求力が、問題構築の資源としての力となる。そのことを知った上で、自らの研究成果を社会的再帰性のサイクルに投げ込んでいく。そして、変化する状況に応じて、その都度その都度規範的判断を下していくそういう連続的で遂行的(perfomative)な営みとして、実証研究知の産出と消費がくりかえされるようになるのである

学力と階層 教育の綻びをどう修正するか学力と階層 教育の綻びをどう修正するか
苅谷 剛彦

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ウチダ先生がかつて↓のように書かれていたのを思い出し、そっか、苅谷先生がこの10年間闘ってきた相手って、「前言撤回」を嫌がり、「『隔靴掻痒』性」という「人間を人間たらしめている根源的な要件」に欠けた人たちだったのかなぁと。「社会的再帰性のサイクル」に入るのを拒み、「連続的で遂行的」でなくなってしまった「規範」なんて、とっても無力なものだと僕も思います。

 絶えざる前言撤回によって、漸近線的には近づくけれど、決して十全には記述できない何かが「わがうちにある」という違和感、つまり「隔靴掻痒」性こそが人間を人間たらしめている根源的な要件ではないか。

村上春樹にご用心村上春樹にご用心
内田 樹

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■いやーそれにしてもまだ2月だってのに暖かい。先週末の強風は「春一番」ですか!うーん温暖化もここまで…みたいなことを思いつつ、これまたずっと観れなかった「博士も知らないニッポンのウラ Vol.2」の武田先生の回を観て驚愕。これホント?ホントなの?環境問題の学説も「社会的再帰性のサイクル」の中で検証されていくしかないの?
博士も知らないニッポンのウラ Vol.2 「報道されないニッポンの闇」篇 [DVD]博士も知らないニッポンのウラ Vol.2 「報道されないニッポンの闇」篇 [DVD]
町田 徹, 武田邦彦, 宮崎哲弥, 神足裕司

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環境問題はなぜウソがまかり通るのか (Yosensha Paperbacks)環境問題はなぜウソがまかり通るのか (Yosensha Paperbacks)
武田 邦彦

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バービーの再結成ライブは大盛り上がりですかそうですか。でも「総カラオケ状態」は(気持ちはわかりますけど)ちょっとひどいなぁ…なんて行けたヒトへのひがみですけど。
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