わたり終えるか、転げ落ちるか
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どこでも同じようなものなのかしらん。

 教師が学び成長できない学校の現実は、いくつもの悪弊によって生じている。その一つは、学校の運営や構内の授業研究が、いつも発言する人や声の大きい人によって推進されていることである。
 これまで多数の学校を訪問し教室を観察してきたが、いつも発言する人や声の大きい人で授業実践を創造的に生み出している人に出会ったことがない。授業実践を創造的に推進している人や子どもの可能性を存分に引き出している教師は、どの教師も物静かな教師であり、決して目立とうとしない慎み深い教師である。
 今日のように外野から声高な改革が矢継ぎ早に叫ばれる状況においては、どうしても声の大きい人やいつも発言する人が学校の運営や校内の授業研究のイニシアティブをとりがちである。その結果、学校はますます「職人性」からも「専門家文化」からも遠ざかり、空虚な言葉が飛び交う改革と実践に終始することになる。

教師花伝書教師花伝書
佐藤学

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