わたり終えるか、転げ落ちるか
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
どこを切り取っても素晴らしいエッセイばかりで…特に↓の「わたしの研究法と読書」の何と言いますか、(良い意味での)「割り切り」感がとーっても爽快でした!

 しかし、カントやヘーゲルなどがどれほど頭がいいとしても、彼らも人間であり、わたしも人間であり、彼らが考えたようなことは、彼らよりはるかに頭が悪いとしてもわたしも考えつくはずであり、ただ、その精緻さ深遠さ理路整然さにおいて劣るだけである。したがって、カントやヘーゲルなどと同じようなことを考えついたとしても、彼らの本を読んで彼らの理論や思想を先に知ってしまうと、整地さ深遠さ理路整然さにおいてはるかに劣るわたしの考えは彼らに幻惑されてそこで行き止まりになってしまい、それ以上進めなくなる
 ―中略―
 ところが、彼らの理論や思想を知らなければ、どれほど劣っているにしても、劣っているなら劣っているなりに、わたしの考えから出発してわたしなりに論理を展開することができる。そのほうが彼らの理論や思想を研究しているより面白いし、いい味かまずい味かはわからないが、わたしの考えにわたしなりの味付けをすることもできる。
 そして、彼らが考えたようなことと同じようなことを、そもそもわたしが考えつかなかったとしたら、そのような考えは、わたしの存在、わたしの生き方とは無縁な考えに違いなく、わたしに無縁な考えなどは問題にしても仕方ないので、無理に理解しようとしないで無縁なままにしておけばよいと思うのである。

「哀しみ」という感情「哀しみ」という感情
岸田 秀

by G-Tools
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。