わたり終えるか、転げ落ちるか
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仲正昌樹とともに読む<思想書古典>徹底読解講義 ヴァルター・ベンヤミン 『“危機の時代”の思想家を読む』」に参加してきました。理由は…講師が仲正先生だったからだとか、そういうミーハー的ないろいろもあるのですが、最近読書と言えばめっきり仕事関係の本しか読んでいないことに気づき、そしてその原因は自分の好きなジャンルの本を読もうとすると「それでいいのか?」的な罪悪感がつい芽生えてしまい、どうも集中できなかったこともありまして。よし、これはもう無理やりにでも仕事以外の本を読む環境を作り出すしかない!と思い立ち、今回参加の運びとなりました。来年2月まで月イチです。これは楽しみです。
なぜ「自由」は不自由なのか 現代のリベラリズム講義なぜ「自由」は不自由なのか 現代のリベラリズム講義
仲正昌樹

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とは言うものの、僕の中のベンヤミンに関する引き出しと言ったら、「複製技術時代の芸術」「パサージュ論」を「書いた人」くらいで(読んだことないのです)、あるいは「アウラ」の人くらいで、彼の知見が歴史上どんなインパクトをもたらしたのか、っていく基本的な情報は全く持っておらず(ドイツ人っていうのもこの日初めて知りました)。なので初日から「へぇーそーだったんだ!」の連続&精読タイムが始まってからは「むむむ…」と心地よい頭煮え。今日は「翻訳者の課題」という論文だったのですが、いやはや「原作」と「翻訳」の関係が、「生」と「死」の関係で語られるとは!

明らかに翻訳は、どんなに良い翻訳であっても、原作にとってはいささかの意味ももちえない。にもかかわらず翻訳は、原作の翻訳可能性にとってはまったく意味がないだけに、かえって密度の度を加えている。それは自然な関連、もっと正確には生の関連といえようか。生の表出が、生者にはいささかの意味もなくても、生者と密接きわまる関連をもっているように、翻訳は原作から出現してくる。たしかに原作の生から、というよりはむしろ、その<死後の生>からだけれども。

暴力批判論 他十篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)暴力批判論 他十篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)
ヴァルター・ベンヤミン

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柴田先生がこの「翻訳者の課題」についてどこかで言及してたりするのでしょうか。あるのでしたらぜひ知りたいです。最近「代表質問」を読み終わったところだったので(仕事以外の本読んでんじゃん)ついついそんなことも過ぎったり。
代表質問 16のインタビュー代表質問 16のインタビュー
柴田 元幸
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2009/09/14(月) 00:51:53 | 関連記事
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