わたり終えるか、転げ落ちるか
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■PULSNUGのリハを下北にて。ちょっと変わった編成なのと、ベース弾くのが久々で何かへろへろしてました。ライブは12/23(水・祝)です。頑張りまっす!

■「仲正昌樹とともに読む<思想書古典>徹底読解講義 ヴァルター・ベンヤミン 『“危機の時代”の思想家を読む』」の第4回。今回は「歴史の概念について」というなかなかにビッグなトピック。今回はもう「『現象』としては『敗北』を記述し続けることで、『メシア的』には『勝利』とする」というひと言に尽きるような気がします。
ボードレール 他五篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)歴史の概念について - ボードレール 他五篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)
ヴァルター・ベンヤミン

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年末だからかどうか謎ですが、今回は参加者が少なかったような気がしました。が、とっても濃密な時間を過ごせました。いつもながらにメモメモ。そしていつもながらに理解間違いの可能性ありです。

・「歴史の概念について」で扱われている「歴史的唯物論」は、通常の「歴史的唯物論」とは異なる。
・「歴史の概念について」が書かれた1940年は、ロシア革命、ナチス台頭を経た時期であることをまず認識。
・冒頭の「ロボット」はいわゆる(人工知能を搭載したタイプの)ロボットではなく、「Automat(独)」=「自動機械」「自動的に反応する人形」のイメージ。
・「歴史的唯物論」の背後に「背中を丸めて」「かがみこんで」隠れている「せむしのこびと」とは?
・「ブルジョア・資本主義・権力…」VS「歴史的唯物論」(+「せむしのこびと」)という図式。
・「歴史的唯物論」=「物質の運動法則によって歴史が動いている(人間の主体性が関与しようがない)」と「自然法則の延長として歴史を捉える」という考え方をベンヤミンは茶化している。
・「プロレタリアート解放の思想」としての「歴史的唯物論」。ここで解放されない「歴史の中で無名の弱者」「名もなき大衆」のことを「小さくてみにくい」「こびと」という。
・「小さくてみにくいこびと」はベンヤミンの後期論文によく出る「近代化」「歴史の進歩」の「落とし子」。
・「空気」=「パサージュ(19世紀パリの都市空間の表象)」。「都市表象」とは「大衆の無意識的な願望の集合体」「都市にあった自然と喚起されるイメージ」。

ぼくらの羨望をよびさましうる幸福は、ぼくらと語りあう可能性があった人間や、ぼくらの身をゆだねる可能性があった女とともに、ぼくらが呼吸した空気のなかにしかない。いいかえれば、幸福のイメージには、解放のイメージがかたく結びついている。

・1937-8年には、ルカーチ(疎外論を体系化)、エルンスト・プロッホ(美に表れる無意識について分析)ら進歩主義者が。
・「解放」と訳されている「Erleichterung(独)」は、どちらかと言えば「救済(Salvation)」。ここで言う「救済(Salvation)」とは、「終末に訪れる救済」「主体と客体との融和」。
・「索引」とは、歴史上の(悲惨な)出来事の意味を付与すること。例えば、「フランス革命」が具体的に何を指示しているかどうかは実は「ない」。後で「索引」として意味付与。

過去という本にはひそかな索引が付されていて、その索引は過去の解放を指示している。

・「(悲惨な)出来事」は「終末」に対していずれ「救済」されるもの。
・(固有名とリンクしているわけではないが)様々な「無名の」人々の願望・夢の継承する力が「メシア的な能力」。

ぼくらには、ぼくらに先行したあらゆる世代にとひとしく、<かすか>ながらもメシア的な能力が付与されているが、過去はこの能力に期待している。

・「ダダイズム(=ガラクタ・猥雑なものを集めて「作品」とすることで、その時代がどういう夢を見ていたかがわかる)」の流行と、ベンヤミンが生きていた時代とは重なる。
・歴史からはみ出したもの(=弱者・抑圧されたもの)を救済するのが唯物史観論者の使命。cf)スピヴァクのサバルタン論。
・真の唯物史観論者はプロレタリアートの勝利を最終目標としない。「現象」としては「敗北」を記述し続けることで、「メシア的」には「勝利」とする、という発想。
・「歴史を記録に残す人」=「勝者」とし、歴史の読者はそれに感情移入するもの。
・「権力者がつくった歴史」と「民衆がつくった歴史」は「対等」であり、どちらが良い、と言っていない(ましてや後者が正しいとは言っていない)。その「伝達の過程」こそがベンヤミンの歴史観。
・この歴史観は、「民衆と支配者が価値観を同一としていれば代表者は誰でも良い」、という考え方が参考になる。
・(多元性・議会制)友/敵をはっきりとわけることが主権者の役割。民衆の同一性を出したナチスが良い例。
・共産党、社会民主党を「哲学的ではない」と批判。例えば、進歩史観的にナチスを見ると「非常事態」に見えるが、それは「進歩史観」という立場から見たからそう見えるだけの話。

ファシズムに少なからぬチャンスをあたえているのは、ファシズムの対抗者たちが、歴史の規則としての進歩の名において、ファシズムに対抗していることなのだ。-ぼくらが経験しているものごとが二〇世紀でも「まだ」可能なのか、といったおどろきは、なんら哲学的では<ない>。

・天使は「偉大な歴史の連鎖」を見ているのではない。「廃墟の上の廃墟」を見るのである。
・「労働価値説」(アダム・スミス)をマルクスは批判するつもりだったのに、(価値が転倒し)マルクス主義の価値観となってしまった。
・「進歩史観的な歴史観では、ナチスには勝てない」というベンヤミンの主張は当時(1940年代)だと、おそらくアドルノくらいしかピンと来ていなかっただろう。
・革命のコミットするタイプの人は、歴史を権力基盤とせず、今の願望を過去に投影する。
・「流行」とは「過去のもの」であることが多い。ゴスロリ、メイド喫茶は典型。
・救済の名の下に歴史を語り、歴史の連続の打破する(=今を書き表すことで、歴史の断絶を起こす・通俗的な時間の流れを瞬間的に断絶させる)。そして破片を収集して歴史をつくるのが唯物史観論者の役割。

さまざまな事件を、大事件と小事件との区別なく、ものがたる年代記作者が、期せずして考慮にいれている真理がある。かつて起こったことは何ひとつ、歴史から見て無意味なものと見なされてはならない、という真理だ。たしかに、人類は解放されてはじめて、その過去を完全なかたちで手に握ることができる。いいかえれば、人類は解放されてはじめて、その過去のあらゆる時点を引用できるようになる。人類が生きる瞬間のすべてが、その日には、引き出して用いうるものとなるのだ-その日こそ、まさに最終審判の日である。

<関連>
翻訳者の課題 - 人生はタイトロープ
翻訳者の課題(後半) - 人生はタイトロープ
暴力批判論 - 人生はタイトロープ
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