わたり終えるか、転げ落ちるか
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そうなんです。この「時間差」がくせものなんです。

将来の自分を縛るために、機械とか他人の力、社会的制度を利用しても、それは通常「自由意志」に基づく行為と見なされる。というより、「私」たちが「私自身の自由意志」に基づく行為として自覚的に行っていることのほとんどは、そうした自己拘束的な性格を持っている。将来的な自己拘束のために、予めお互いに同意を交わしておくのが「契約」という制度である。五時間後に起こしてもらうための「契約」であれば、時間差があまりないので、他人によって起こされたとしても、「私の自由意志」に基づく行為として受け止めやすいが、契約から履行までの時間が長くなり、複雑な仕組みが関わってくるほど、「もとは“私の自由意志”であった」という感覚が薄くなっていく。それと反比例するように、「私以外のものによって支配されている」という違和感が強まっていくわけである。

なぜ「自由」は不自由なのか 現代のリベラリズム講義なぜ「自由」は不自由なのか 現代のリベラリズム講義
仲正 昌樹

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