わたり終えるか、転げ落ちるか
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引っ越しの荷作り中に出てきたすっごい昔の切り抜き。(当時)代ゼミ古文担当の黒須先生による「我が受験生時代」というエッセイ。恥ずかしながらこの切り抜き、ずっと壁に貼って目標にしてました(恥)。さすがに日焼けもひどくぼろぼろなのでそろそろ捨てようかと思ったのですが、ここにそのまま写すことにしました。今読んでも感動するし、何よりも今も全然達成できていないことに自分が嫌になりますー。

 年間の最終授業が終わった後に、何人かの生徒から、テキストに、「どんな言葉でもいいですから、何か一言書いてくれませんか」と頼まれることがある。ある程度書く言葉は決めてはいるので、とりあえず、それらの中から瞬間的に頭に浮かんだものを書いてしまうのだが、実を言うとあまり得意なことではない。しかし、それでも自分が受験生であった時に感じたことを照れながらも書くことがある。

 僕は情けないことに二浪したわけだが、二浪目は秋山という友人と一緒に浪人していた。彼とは小学校以来の仲である。彼は現役で大学に入ったが、学部を変更したいということで、一年間でその大学を退学し、再度受験をすることになったのである。一方、僕はといえば、現役・一浪ときれいさっぱりすべての大学にフラレ、純粋に二浪となったのである。僕は都内のある大学の付属高校に通っていたため、当然その上の大学に進学するつもりであった。しかし、高3の夏あたりから、進路を変え他大に進学することにした。その理由は、やはりありきたりのものであったような気がする。そうなると、本当に受験勉強というものを今までしてこなかったのであるから、二浪という結果もまあうなすける。(では、一浪の時は一体何をしていたのかという疑問は残るのだが)。通った予備校は、代々木ゼミナールである。当時は、予備校といえば、高田馬場が中心であったように記憶するが、先輩の勧めで代ゼミにした。二人はそれぞれ自由に自分の好きな授業を取り、同じ授業の時は、席を並べて講義を聴き、授業の終わる時間が合えば一緒に帰ったりしていた。

 そんなこんなで日々はあっという間に過ぎ去り、また、受験の季節が訪れることになる。そして入試をほぼ終え、ある日、二人でそれぞれ受験した大学の発表を見に行くことにした。おそらく発表日が同じであるから一緒に行こうやぐらいの気持ちであったのだろうが、今思うと、正気の沙汰とは思えない行動である。なぜなら、その結果次第では悲惨な事態になりかねないはずだからである。その悲惨な事態は、はかられたように現実となった。秋山は合格し、僕は落ちたのである。帰りの電車の中で僕は、一言も口をきかなかった。いや、きけなかった。別れ際に「じゃあな」と言っただけであった。家にたどり着いた後、とにかく情けなかった。それは、自分が大学に落ちたことで彼に「よかったな」の一言も言ってあげられなかったことである。普通の予備校生であった僕の記憶の中に、その日のことだけは今でも鮮明に残っている。

 あの日、もし僕も合格していたら、彼に嫌な思いをさせることもなく一緒に祝杯をあげることができたはずである。もちろん、自分が落ちてもそれはできたはずである。しかし、そんな余裕はまったくなかった。

 その時から、<駄目な自分がそこにある時、人に優しくできるほど俺は人間ができちゃいねぇ。ならば、せめて人のことを羨んでばかりいるせこい人間から脱出できるくらいはなんとか頑張ってみるか>と思うようになる。

 当然、口でいうほど「優しくなれる」ということはたやすいことではないはずだと思うし、実際、今もまるで駄目である。しかし、それでも敢えて生徒のテキストに「優しくなれるためにがんばれ!」とたまに書くことにしている。

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