わたり終えるか、転げ落ちるか
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 ひととしての成熟とは、自分たちを編んできたこれらの意味の組織をわきまえ、無理なく修正してゆくことができるようになることだと、ふつう思われている。これまでほとんど顧みられることもなかったような些細なことがらにも、深い意味が見いだせるようになることだと考えられている。言ってみれば老成である。
 が、他方でひとは、未熟にも憧れている。自分の存在にも行動にも意味を問い求め、あがくことに疲れて、意味など考えずに母を求め、食べ物をほしがる赤ちゃんが、無性にうらやましくなる。そう、意味をより厚く、濃やかにすることよりも、いっそのこと意味の<外>に出てしまいたいと思う。意味とか理由とか秩序といった面倒なものを考えずに済めば……と思ってしまう。そして、ときに身体がわけもなく悦んでいる状態、無意味に気持ちのいい状態に浸りきっていたいと願うこともあれば、ときにとんでもない愚行、凶行に走ってしまったりもする。

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鷲田 清一

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