わたり終えるか、転げ落ちるか
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(かなり)遅ればせながら先月の図書館総合展「『長尾構想』への図書館界・出版会のまなざし」を拝聴しました。長尾館長のお考えを改めて確認、というより、構想への意思、と言いますか、人が何かを構想する際の心構え、のようなものについて、改めて痛感しました。

「長尾構想はあくまで提案であり、絶対モデルではない、現代は『より良いモデルを追求し続ける』時期」や、最後の「電子図書館に関する議論への理解度が格段に上がった」→「理解が深まって落ち着くところに落ち着くようなシステムができあがる、と期待している」といった長尾館長のご発言は、茂木さんの↓の話を思い出させました。「長尾構想」と構想に、館長のお名前をつけない方が、館長の意に沿っているのでは、という気もしてきます。

連続ツイート 離:茂木健一郎 クオリア日記

離(4)イギリスに留学していた時、科学的思考を支える離(detachment)の精神の凄まじさを知った。ある説が誰によって提出されたか、その経緯には関係なく、あたかも自分から独立したオブジェクトのように眺める。

離(5)自分の説でも、相手の理論でも、それをあたかも机の上にあるオブジェクトのように眺め、ここが出っ張っている、そこは引っ込んでいると記述する。究極のメタ認知。自分がかわいいという欲動を、消してしまうのだ。

離(6)議論をする時でも、ある問題についてさまざまな角度からアイデアを出し合う。誰がどのアイデアを提出したかが重要なのではない。その問題について、関連するアイデアが網羅されることが大切なのである。

離(7)一通りアイデアが出そろったら、誰のアイデアであるかに関係なく、それらを離の心で比較する。客観的に検討し、ベストなものを選ぶ。そのようなプロセスの中に、科学が科学たるゆえんがある。


長尾館長のお話は、その内容ももちろんですが、その謙虚で誠実な立ち振る舞いに、いつも学ぶところが大きいです。あ、冒頭でおっしゃった「忘れないと新しいことは考えられないので大いに忘れることにしている」は、大いに私を勇気付けてくれました。
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